人類の終末は思わぬ形で訪れた。五十年前の〈変事〉以来、赤ん坊が生れなくなったのだ。地球にはもう子供も青年もいない。世界の平均年齢は七十歳に達し、滅びゆく人類の苦闘を記録するための機関が設立される。その一員である〈灰色ひげ〉は、妻と友人共に川を下る旅を続けるが……。『地球の長い午後』の著者が描破する恐るべき未来!
英国作家が得意とされる終末ものSFです。さすがに素晴らしい。
イギリスという国への憧憬が幼い頃からあります。シャーロック・ホームズの冒険譚に心躍らせたあの頃から、一度は霧に煙るロンドンを訪れてみたいと密かに思っています。そのせいか、コーヒーよりも紅茶党であり、サッカーもリーガエスパニョーラやブンデスリーガよりもプレミアリーグ党です。そして、終末ものSFもやはり、僕の中では米国よりもイングランドのものに軍配が上がるようです。
けっして読んでいて楽しいものではないのです。曇り空のような陰鬱さが作品全体を覆っています。ただし、いい小説というのは、物語の背後に常にバックグラウンドミュージックのような作品の世界観を決定するような雰囲気を醸し出しているものです。この小説にもそのようなものを感じることができました。
ある時期から子どもが生まれなくなってしまった未来世界。老人のみの荒廃した社会で生活する人々。集落社会と化した未来世界の様子は奇妙であり、人類の死に絶えることは間違いなく思えて、絶望感に常に満ちています。主人公は一人の老人の専制的な支配下に置かれた集落から旅立つことを決意します。旅に出た主人公は立ち寄った最初の集落で自殺死体を発見します。子供の生まれない社会の救いのなさが一番表れたシーンだと思います。
やがて子どもの生まれなくなった〈変事〉などの世界情勢や主人公の素性が明かされていきます。
少なくなった子どもを奪い合う戦争やそれに参加する主人公、そして人類の滅びていく様子を記録する機関DOUCH(E)に入ったことやイギリスに帰還して独裁者の配下から逃れることなど。そして、川を下る旅に出会う現在では永遠の命を標榜する医者や学者の統制する集落に落ち着いたりする。アクションシーンのようなものはあるものの、けっしてケレン味があるわけでもなく、淡々と展開していくストーリー。ただ、そこにこそこの作品のすごみのようなものがあると思います。
僕が終末もので好きなのは、以前も書いたかもしれませんが、一部の予定調和的なものを拒否した作品を除いては少しの救いを見せた上で物語が必ず終わるところです。この作品も最後にはそれが用意されていて、明日を生きるための背中を押してくれました。
この日本の大変な時に、こんなものを読む罪悪感にとらわれながらも、僕たちに必要なものは立ち上がる気力であり、希望なのだと感じます。若い世代に託す思いや命をつないでくリレーのようなものを少し考えた読後でした。
さて、約一年ぶりの更新となりましたが、読んでくださる奇特な方がおられましたら、お久しぶりでございます。小松左京氏や北杜夫氏の死に衝撃を受けた本年ももう暮れようとしています。今後もささやかながらSFへの愛を語っていく所存です。ではでは。
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