1950年代終わり、高度成長の入り口に立った時代の空気を察知した小学館、講談社は週刊少年誌創刊に向けて始動。早くも激しい先陣争いを展開した結果、サンデー、マガジン2誌同時創刊に至る。線の太く丸いメジャー漫画家の獲得、“さわやか”イメージ戦略、正統派ギャグ漫画路線を掲げるサンデー、他方マガジンは、原作と作画の分業体制、情熱的な“劇画”路線と巻頭グラビア大図解を展開――それぞれ独自の方針を掲げ、熾烈な読者獲得競争を繰り広げた。本書は、両誌の黄金時代を現場で支えた男たちの人間やドラマに迫る。元編集者の証言は、私たちにスリルと多くの知恵を与えてくれる。懐かしい名作やブームの裏話も満載。
なんでも始めるときのエネルギーってのは凄い。
サンデーとマガジンはまったく同日に発売されたそうで、そのライバル関係はもう五十年にもわたっているそうだ。『ジャンプ』黄金期に生まれ育った僕にとっては、すべて自分の生まれる前の話なのだけれども、50、60
年代の話は好きなので読んでみた。
世は週刊誌時代になり、小学館が子ども向けの週刊誌を創刊するというプロジェクトから話は始まる。
まだマンガが子どものものだった時代。悪書だと叫ばれていた時代の話。行き過ぎた悪書追放運動は焚書にまで発展する。その中で、子どもたちのために、そして自分たちのために、切磋琢磨しながらしのぎを削ってきたのが、『サンデー』と『マガジン』両誌なのだ。
両誌は創刊の日時の情報合戦の結果、発売を早めに早めて、結局、同じ日に創刊したということからも、そのライバル関係が非常によくわかる。僕の世代にとっての驚きは、一人の漫画家が複数の会社の雑誌に同時にいくつもの連載を持っているというところだろう。手塚治虫、赤塚不二夫、川崎のぼるらの大家が同時に複数連載なんて、うらやましい話。
しかも、ときには漫画作品が別の会社に移籍するなんてのは、非常に興味深い。手塚治虫の「W3」事件といい、「天才バカボン」のマガジンからサンデーへの移籍の経過なんて、こちらが読んでいてドキドキさせられるくらいだ。
ライバルを倒すためにとられた路線や革新的な方法は、現在の漫画の隆盛に大きな功績を残している。原作・作画分業体制やアシスタント制、劇画路線などの方策が誕生していく過程に、フムフムとうなずきながら新知識が頭に染み込んでいくのを味わう。こういうのが新書の楽しみだなあ。
さて、著者はNHKの「ETV特集 日本SFの50年」を手がけた方。あの番組では、日本のサブカルチャーの基礎を築いたのがSF作家たちだということが、繰り返し言われていましたが、この本にもSF関係者の名前がたくさん登場する。
『8マン』の平井和正、『サンデー』に「マッド・タウン」を連載していた筒井康隆、マンガ原作を担当していた福島正実、少年誌で座談会をよくやった星新一、小松左京・・・・・・。その中でも特にフィーチャーされているのが大伴昌司だ。
怪獣図解などのビジュアル・ワークなどで才能を発揮した彼は、若くして亡くなったが、日本の雑誌界の手法そのものを変えるほど、その仕事は素晴らしかったということだ。たしかにカラー口絵で見る彼担当のグラビアには目を見張るものがある。
なにかすごいものが立ち上がるときの、熱い情熱を感じることのできる、明日への活力がわいてくる本でした。
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