これは多様化する文学状況の中で、純文学と大衆文学の区別はどういったところにあるか、という議論の中での柘植光彦氏の発言です。
柘植光彦氏は文芸評論家・研究者です。
柘植 僕はやっぱり多様化という問題と重なってくるのと、筒井康隆なんか若い作家が直木賞選考委員を殺す「大いなる助走」という小説を書いていますが、SFの作家に直木賞が与えられない。半村良が貰ったのも「雨やどり」という新宿のバーの男と女の話でSFではない。つまり、直木賞が大衆小説に与えられていないということ。以前は芥川賞が純文学だったのが、今は直木賞までもある意味で大衆小説を差別するものとして成りたっている。最後の砦として芥川賞、直木賞があるというふうな感覚なんです。基盤を広くすると、たとえばSFはたいへん若い人に読まれているし、筒井康隆とか半村良の作品となると、たとえば半村良の「妖星伝」の第五部なんていうのは埴谷雄高の「死霊」に匹敵する哲学的な物語になっているし、筒井康隆の七瀬三部作なども哲学的、思想的な物語といってもいいけれども、あれは相変らず純文学の中には入れられていないんですね。
ここでは、文学状況の問題が挙げられ、直木賞で大衆小説(その中としてのSF)が差別され、SFの中でも半村良「妖星伝」「七瀬三部作」は純文学の範疇に入ると柘植氏は考えておられるようです。
ちなみにこの号には関連して「作家エッセイ」というものがあるのですが、その中には筒井康隆「ユング「文芸と心理学」をめぐって」・半村良「文芸人の弁」が収録されております。また、「第二特集 女とは何か」では、「男性作家の描く「女」」として、青木はるみ「筒井康隆“七瀬三部作”の七瀬」という論考が掲載されています。
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