砂州に閉じこめられたロークァル・マルのやるせない絶叫を、磯波のとどろきがかき消した。シロナガス鯨の有機体と高度の機械装置がたくみに結合された、全長600フィートに及ぶ巨大なサイボーグ漁船―――ロークァル。だが、海洋汚染によって海が死に絶えた時、地球社会は彼女を見棄てたのだ。死にかけた彼女から最後のエネルギーを送りこまれた小型探査機〈三葉虫〉は、七つの大洋をめぐる果てしない旅にでた。もう一度人間を捜しだし、ロークァルを甦らせるために・・・・・・。まったく異質な未来社会と文化を、奔放な想像力と詩的な筆致をもちいて見事に描きあげた海洋冒険ロマン!
なかなか面白かった。
グィン、ディック、ディッシュに続く、ネビュラ賞第四席の作品だそうで、確かにスケールの大きなお話でした。ただ、第四席であるのがものすごく似合う作品だとも思ってしまいました。巨匠を超えるだけの「なにか」が足りないんですよねえ。
下半身を失ったラリーが二度の永い眠りに入るところからはじまったのはいいのですが、物語の案内役としても、主人公としても、中途半端な存在に変ってしまい残念でした。もともとが、生殖能力、性的能力を失ったことが彼の眠りの原因であっただけに、相手が機械のスロット・マシーンになっちゃったことは、面白くはあったけれど、目的の成就にはなりえないけどなあ。物語の目的がどこにあるのかがよくわからなかったですね。主人公たちの「小さな物語」も、人類としての「大きな物語」も、どこか心に響くものがなかったです。
全体への奉仕が第一義となったハイブの住人たち。矮小化した人類たちから、はみ出た人間たちの反抗の物語が面白かったです。ラリーと怪物ハーの脱出はドキドキしながら読みました。それから、海を泳ぐ知性を持った鯨型の巨船ロークァル、その命を受け行動するマスコットキャラ「三葉虫」、ハイブと水棲人の戦争、空から降ってくる巨大な船など、視覚的なイメージを楽しむ作品なんでしょうね。はっきりいって、小説としての完成度は低い(描写や章構成のまずさ等)と思うのですが、これだけ楽しいのは豊潤なイメージ喚起力が、この小説にはあるからだと感じました。
「鯨」というのは、どうしてこうも人をひきつけるのでしょう。その巨大さは神としての畏怖を僕たちに感じさせてくれるし、また知能も動物としては高いという情報がその神性にさらに拍車をかけるのでしょうね。宇宙を泳いでくれれば、もっと感動したのでしょうが、最後まで海中で終ってしまったのが、少し残念でした。また、『ジョナサンと宇宙クジラ』と同様に、クジラが女性であったことに、なんだか感動してしまいました。クジラは「お母さん」っていうイメージがなんだか僕にはあります。
母なる海の雄大さを感じる作品でした。
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