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SF素人が空想科学小説に耽溺するブログ。

モラトリアム

   
カテゴリー「SF研究」の記事一覧

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SF研究⑯ 『図書新聞』昭和37年10月20日 石川喬司「SF同人誌評」

 本日は石川喬司氏の「SF同人誌評 見事な仮説の世界『やぶれかぶれのオロ氏』(筒井)」です。

 『第一回日本SF大会』というのがさきごろ東京で開かれた。集まったのは二百人。主催者は「こんなに多勢の人が・・・・・・」とびっくりしていた。二百人で多勢――とは、いささか非科学的な表現だが、ことほどさようにわが国のSF人口はとぼしいのである。
 唯一の商業誌『SFマガジン』の発行部数が公称四万。ひところ出版界には「SFと西部劇に手を出せば必らずつぶれる」というジンクスがあったが、それをのりこえての読者開拓は容易ではなかったらしい。


 こういった状況から、世界SF大会をやってしまうまでになったんですなあ・・・・・・。

 しかし数が少ないかわりに、ファンの質はきわめて高い。創刊六年目をむかえた同人誌『宇宙塵』や、季刊で七号を数えた『NULL』のグループの中には、市場さえ拡がれば立派にプロとして通用する実力をもった連中が多い。現に『宇宙塵』同人からは、星新一、矢野徹をはじめとして数人の有望なSF作家が巣立っており、最近では、同誌に途中まで連載された今日泊亜蘭の長篇『光の塔』が東都ミステリーの一冊として刊行されている。
 推理小説の同人誌が、一部を例外として、きわめて低調なのは、すこし筆が立てばすぐプロとして登録される変則的な売手市場のためだろうし、一方、SF同人誌が隆盛なのは、それとはまったく正反対の事情によるものだろう。

 ここまでは、SFの市場の狭さがよくわかると思います。ここから、同人誌評として『NULL』掲載の筒井康隆『やぶれかぶれのオロ氏』が賞揚されております。ここでは同年9月23日に安部公房が『朝日ジャーナル』に寄せた文章(確認しておりませんが『日本SF論争史』にも所収されている「SFの流行について」だと思います)の中の「仮説の文学」という言葉を使用し、褒めておられます。

 『NULL』にはこのほか八篇、『宇宙塵』(五十九号)には五篇の創作が掲載されているが、いずれも面白い。このような良質の作品が一部のマニアの間でしか享受されていない現状は淋しい限りである。
 SF同人誌には、ほかに『宇宙気流』『アステロイト』『宇宙船』『パラノイア』などがあるが、いずれ機会を改めて触れることにしたい。なおこのほど『宇宙塵』国際版(英文)が刊行されたことをご紹介しておく。柴野拓美のSF大会報告などがのっておりおそらく海外のマニアをウナらせることだろう。


 主旨は筒井氏の作品の批評なのですが、当時のSF界の状況をうかがい知ることのできる資料としても面白いと思います。ではでは。
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SF研究⑮『図書新聞』昭和37年10月27日 柴野拓美「S・F その特殊性」

 本日は柴野拓美氏の「S・F その特殊性 奇妙な跛行現象 作家と読者の間」という文章です。

 ほんの一年ほど前までは、少なくとも一般むき新聞・雑誌の紙面では、SF(空想科学小説)といちいち断り書きをつけていたものである。それだけ普及したのは慶ぶべきことだが、いや、普及したのはSFという呼び名ばかりで、中身のほうはさっぱりさ、という意見もある。どうやらまだ手放しで喜ぶには早すぎるようだ。

これが書き出しで、SFの現状が翻訳ものに頼り、日本人作品が少ない、そして多くは『宇宙塵』『NULL』といった雑誌が新人の主な活躍場所となっていることを述べています。

 SFという名前だけが先に突っ走っていて、それを裏づけるべき市場と作家が、引き離されてしまっている感が深い。

 この奇妙な「跛行現象」は、この理由を「第一は、宇宙開発の進展など科学技術界の華々しいニュースに刺激された、社会の関心の先行、つまり、SFという言葉が一種の流行語扱いされているということだ。「まるでSFだ」などという表現さえ生まれているようなぐあいである。」「第二に既成文学の沈滞に伴い、目新しさを求める一部のマニアの先物買いがあげられる。」としている。これを要約して、柴野氏は「海外SFへの追随に急なあまり、日本の風土に密着した実質的発展のための努力がなおざりにされている」と指摘しています。

 結局、この新しい文学は、日本では未だ充分に理解されていないことになる。他の面からみれば、従来の「科学小説」という言葉からうける、とっつきにくさ、あるいは子供の読みもの的印象が、いまの「SF」の名で代表されるものとの間にある断絶感を生み出していることも、一つの説明になるだろう。

 この後、SFがそのようなイメージから「荒唐無稽」と非難されることについて、恋愛小説の男女関係や推理小説の奇抜なトリックのほうが必然性に欠けており、そうであれば「SFの設定における「飛躍」」は受け入れられるはずであると述べています。

 その飛躍は、一見超現実的なかたちをとりながら、その実、現代の科学が否定し去ることのできない――いや場合によってはそれが外挿法によって当然予想される――ところのものである。この一種独特の必然性が、SFの文学としてのリアリティを支えている。SFの「特殊性」が、ここにある。

題名を見るとここがこの文章の主旨ということになるでしょう。この後、米国、ソ連のSFの特徴をそれぞれ挙げ、この両者を「並列的に無選択に受け入れているのが、日本SF界の現状」と延べ、最後にSF界の課題と展望が挙げられています。

 ともあれ現在、多くの人々がSFの名だけを知ってその本質を知らないでいる現状を、いかに打開するかが、日本SF界の当面の課題であろう。注目すべきことは、SFの新らしい読者の多くが口をそろえて、今までSFの面白さを知らずにいたのは一生の損失だったと語っていることである。日本におけるこの分野の将来は、案外に明るいのではないだろうか。

 『SFマガジン』が刊行されてまだ二年目の、SFの若かりし時代がわかる文章ではないでしょうか。

SF研究⑭ 『国文学 解釈と鑑賞』特集・現代文学研究 昭和56年二月号

 これは多様化する文学状況の中で、純文学と大衆文学の区別はどういったところにあるか、という議論の中での柘植光彦氏の発言です。柘植光彦氏は文芸評論家・研究者です。

柘植 僕はやっぱり多様化という問題と重なってくるのと、筒井康隆なんか若い作家が直木賞選考委員を殺す「大いなる助走」という小説を書いていますが、SFの作家に直木賞が与えられない。半村良が貰ったのも「雨やどり」という新宿のバーの男と女の話でSFではない。つまり、直木賞が大衆小説に与えられていないということ。以前は芥川賞が純文学だったのが、今は直木賞までもある意味で大衆小説を差別するものとして成りたっている。最後の砦として芥川賞、直木賞があるというふうな感覚なんです。基盤を広くすると、たとえばSFはたいへん若い人に読まれているし、筒井康隆とか半村良の作品となると、たとえば半村良の「妖星伝」の第五部なんていうのは埴谷雄高の「死霊」に匹敵する哲学的な物語になっているし、筒井康隆の七瀬三部作なども哲学的、思想的な物語といってもいいけれども、あれは相変らず純文学の中には入れられていないんですね

ここでは、文学状況の問題が挙げられ、直木賞で大衆小説(その中としてのSF)が差別され、SFの中でも半村良「妖星伝」「七瀬三部作」は純文学の範疇に入ると柘植氏は考えておられるようです。

ちなみにこの号には関連して「作家エッセイ」というものがあるのですが、その中には筒井康隆「ユング「文芸と心理学」をめぐって」・半村良「文芸人の弁」が収録されております。また、「第二特集 女とは何か」では、「男性作家の描く「女」」として、青木はるみ「筒井康隆“七瀬三部作”の七瀬」という論考が掲載されています。

SF研究 「〝ファンジン(SF同人誌)〟日本版の水準 アイディアが先き走る」

 本日は昭和37年1月20日の図書新聞より、「〝ファンジン(SF同人誌)〟日本版の水準 アイディアが先き走る」という記事です。科学創作クラブ編集発行『宇宙塵』、ヌル編集室発行『ヌル』が批判されております。

 最初にキングズリイ・エイミスの『地獄の新地図』でジャズとSFが同様に下からの突き上げによって成長したことを言い、ファンジンの説明があります。アメリカではファンジン出身の人がプロになっているという解説があった後、以下のように続きます。

 日本でも、こうした動きは当然ある。機関紙『宇宙塵』に拠る科学創作クラブがその代表的な存在で、すでに五年以上つづいているし、ほかにも、たとえば大阪には『ヌル』という同人誌がなかなか熱心な活動をしている。が、不幸にして日本の場合は、あまり積極的な役割を演じていないというのが実情だ。
 理由としてはいろいろあろうが、第一にはやはり、小説としての技術の未熟さ、SF的なアイデアが、そのまま小説になると考える素朴なアマチュアリズムが、同人作家の成長をさまたげているのだろう。


 そして、「アイデアの貧困な既成作家のSFよりも、自分たちのほうがより純粋なSFなのだ、という自惚れがあるように思える」、プロになろうという欲求とそれが絡み合い、「星新一がSFショート・ショートで売りだせば、猫も杓子もショート・ショートを書こうとする」といったような批判が展開されています。最後に、「こうした面の反省がないかぎり、まだしばらく、日本のSFは、否応なしに既成作家に依存せざるを得ないだろう。」と締めくくられます。

 無署名の記事ですので、誰が書いたか判じることはできません。
 ただ、まだまだ日本のSF作家が育っていない時分の時代背景がわかるのではないでしょうか。自分としては、筒井康隆が中心となった『NULL』がこんなに大きな扱いをされているとは意外でしたので、新たな発見でした。

SF研究⑪ 福島正実『未踏の時代』(1)

 本日は福島正実『未踏の時代』。日本SF史を語る上で外せない本です。

 その当時のジャーナリズム一般の空気は、SFに対して、全く否定的だった。SFを読み、あるいは語ることは、アブノーマルなものへの関心を自白するようなものだった。変りもの扱いにされることを覚悟しなければならなかったのだ。そんな体験からも、ぼくは、日本におけるSF出版の可能性に対して、かなりの程度に悲観的だった。現実にしか目を向けることができず、未来や空想は、絵空事としてひとしなみに軽蔑してかかることしか知らない人々が、あまりにも多すぎた。そうした人々に、SFの効能をいかに説いても、所詮は馬の耳に念仏としか思えなかった。


 ジャーナリズムがSFに対して、「否定的」であったこと、SFを読む、語ることが、「アブノーマル」とされていたことがわかります。また、空想的なことが軽蔑されることが書かれています。

 次に、1959年、『SFマガジン』創刊前に福島氏が原稿依頼、またアドバイスを求め行った場での作家の反応です。

 当時はまだ気象庁の、たしか、計測器課長だった新田次郎さんを、役所に訪ねて行ったときのことも、忘れられない。作家と、公務員との二重生活の重圧に疲れた顔の新田さんは、「SFほど労多くして功少ないものもない。もうSFを書く気はない。きみたちも、SFは諦めた方がいいだろう」
 と忠告までしてくれた
ものだった。
 新田さんは正直だったのだ。やはり同じころ、何かアドヴァイスを――というより、激励の言葉をと思って訪ねた故江戸川乱歩氏も、SF雑誌をという話を聞くと首をひねり、商業的に成り立っていく目算があるのか、とやや詰問調でぼくに訊いた。乱歩さんはこの頃、まだ早川書房のミステリーシリーズの監修者でもありEQMMの創刊には並々ならぬ尽力をなさったこともあって、早川書房がSFのような全く未踏の――そして、十中七八まで不毛であろう領域に手を出して失敗することがあっては困ると危惧されたらしかった。
 結局、ぼくを励まし積極的に話相手になってくれたのは、安部公房氏くらいなものだった。安部さんはSFが現代小説の新しいジャンルになるだろうということに、ぼく以上の確信を抱いているように見えた。ぼくはしばしば安部家からの帰り道を、かなり昂揚した気持で何やらしきりと考えながら歩いていたことを思い出す。

 もちろん、福島氏の主観もいくらか入っているでしょうが、新田次郎→「SFはもう書かない。諦めた方がいい」、江戸川乱歩→「商業的にやっていけるのか?」、安部公房→「現代小説の新しいジャンルになる」という反応です。SFを書いている人、肯定している人でも不安があることを前二人は語り、安部公房は前向きであったらしいことがわかります。

 とりあえず今回はここまで――。

日本SF年表

という風に題をつけましたけど、単に僕の覚書程度のものです。主に一般誌のSF特集、雑誌・叢書の刊行。作品はどう選べばいいかわからないので保留。

1950年 誠文堂新光社 〈アメージング・ストーリーズ〉刊行
1953年 矢野徹「第六回太平洋岸SF大会」(ロサンゼルス)、「第十一回世界SF大会」(フィラデルフィア)に参加。
1954年 〈日本科学小説協会〉設立
      森の道社 『星雲』創刊(創刊号で廃刊)
1955年 室町書房 〈世界空想科学小説全集〉二冊で潰える
      石泉社銀河書房 〈少年少女科学小説選集〉刊行開始
      光文社『宝石』〈世界科学小説集〉という特集を組む
1956年 東京元々社 〈最新科学小説全集〉刊行開始
      〈空飛ぶ円盤研究会〉設立
      北杜夫「人工の星」(『文芸首都』7月号) 芥川賞候補になるも落選
1957年 5月 同人誌『宇宙塵』創刊
      星新一「セキストラ」『宇宙塵』より『宝石』に転載
      12月 〈ハヤカワファンタジイ〉刊行開始
1958年 安部公房『第四間氷期』(岩波書店『世界』7月号~59年3月号)
      8月 講談社〈サイエンス・フィクションシリーズ〉刊行開始
1959年 春 都筑道夫、早川書房の編集会議でSF雑誌の出版を提案。
      同人誌『NULL』創刊
      12月 早川書房「S-Fマガジン」創刊 初代編集長福島正実
1961年 SFマガジン・東宝を主催に「空想科学小説コンテスト」行われる。
      『サンデー毎日』5月、11月の別冊にてSF特集
1962年 5月 第一回日本SF大会(東京目黒)開催
      〈SFM同好会〉発足
1963年 3月 新宿の台湾料理屋山珍居にて、〈日本SF作家クラブ〉設立。
      9月 光文社『別冊宝石』世界SF傑作集刊行
1965年 〈日本SFファングループ連合会議〉設立
      早川書房〈日本SFシリーズ〉刊行開始
      東京創元社〈創元推理文庫〉SFマークを刊行開始
1968年 早川書房〈世界SF全集〉刊行開始
1970年 東京・大阪・名古屋で〈国際SFシンポジウム〉開催
      早川書房〈ハヤカワ文庫SF〉刊行開始
      『季刊NW-SF』創刊
      〈星雲賞〉創設
1973年 小松左京『日本沈没』大ベストセラーに
      半村良『産霊山秘録』第一回泉鏡花賞受賞
      『幻想と怪奇』創刊
      早川書房〈ハヤカワ文庫JA〉刊行開始
1974年 盛光社『奇想天外』創刊(年内に休刊)
1975年 『国文學 解釈と鑑賞』3月臨時増刊号「ミステリーとSFの世界」
1976年 奇想天外社『奇想天外』復刊
      サンリオ〈サンリオSF文庫〉刊行開始
      半村良「雨やどり」で直木賞受賞(非SF作品)
1977年 『宇宙塵』二十周年記念大会「コスミコン」開催
      映画『スター・ウォーズ』日本公開
      『早稲田文学』12月号にて「特集 SFと想像力のゆくえ」
1978年 早川書房〈海外SFノヴェルズ〉刊行開始
1979年 早川書房〈ハヤカワ文庫FT〉刊行開始
      徳間書店『SFアドベンチャー』創刊
      光文社『SF宝石』創刊
1980年 〈日本SF大賞〉創設
      東京で年次講演会「SFセミナー」がスタート
      『ユリイカ』4月号にて「特集:SF」
1981年 光文社『SF宝石』休刊
      奇想天外社『奇想天外』休刊
      シャピオ『SFイズム』創刊
1982年 幻想文学界出版局『幻想文学』創刊
      旺文社日本版『OMNI』創刊
      新時代社『SFの本』創刊
      『季刊NW-SF』休刊
      映画『ブレードランナー』公開
      『国文學 解釈と教材の研究』8月号 特集「現代文学・SFの衝撃」
1983年 星新一、ショートショート千篇を達成
      第四回日本SF大賞に漫画作品『童夢』(大友克洋)
      双葉社『SFワールド』創刊
1984年 第五回日本SF大賞に川又千秋『幻詩狩』
1985年 シャピオ『SFイズム』休刊
      第六回日本SF大賞に小松左京『首都消失』
1986年 サイバーパンクが本格的に紹介され、ブームに
      新時代社『SFの本』休刊
1987年 大陸書房『小説奇想天外』創刊
      サンリオSF文庫出版停止
1988年 映画『AKIRA』公開
      一般紙にもサイバーパンクブーム(「宝島」「週刊宝石」「FRIDAY」など)
1989年 旺文社日本版『OMNI』休刊
      日本ファンタジーノベル大賞が発足
1990年 大陸書房『小説奇想天外』休刊
      『新潮』9月号で特集〈現代SFの冒険〉、『ユリイカ』ディック特集(91年1月号)、『現代思想』誌3月号ロボット特集、翌年一月号で人工生命特集
      椎名誠SF三部作
1991年 『季刊へるめす』特集「女性SFのフロンティア」
1992年 徳間書店『SFアドベンチャー』季刊へ
      朝日ソノラマ『獅子王』季刊へ 「SF冬の時代」が囁かれる
1993年 徳間書店『SFアドベンチャー』休刊
      筒井康隆、断筆宣言
      『ユリイカ』12月号 「特集:ポスト・サイバーパンク」
1994年 笙野頼子『タイムスリップ・コンビナート』で芥川賞受賞
1995年 アニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放映開始
      11月『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』公開
1996年 映画『ガメラ2』公開
      〈SFバカ本〉刊行開始
1997年 星新一永眠
1998年 〈異形コレクション〉刊行開始
      NHK人間大学『宇宙を空想してきた人々』(野田昌宏)放映
1999年 徳間書店〈日本SF大賞新人賞〉設立
      角川春樹事務所〈小松左京賞〉設立

参考文献:福島正実『未踏の時代』早川書房 1977年
       巽孝之編『日本SF論争史』勁草書房 2000年
       最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社 2007年
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1974年 「推理小説・SF一九七三年」権田萬治
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1976年 「推理小説・SF'75」山村正夫
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1984年 「SF'83」伊藤典夫
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1985年 「SF'84」安田均
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1986年 「SF'85」安田均
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1988年 「SF'86」鏡明
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1988年 「SF'87」鏡明
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1989年 「SF'88」大森望
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1990年 「SF'89」大森望
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1991年 「SF'90」巽孝之
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1992年 「SF'91」巽孝之
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1993年 「SF'92」巽孝之
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1994年 「SF'93」東雅夫
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1994年 「SF'94」東雅夫
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1994年 「SF'95」小谷真理
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1994年 「SF'96」小谷真理
       日本文芸家協会『文芸年鑑』1998年 「SF'97」長山靖生
       Sci-Fi Award
       翻訳作品集成
       日本SF作家クラブホームページ

SF研究⑩ 三島由紀夫「一SFファンのわがままな希望」

 久しぶりにSF研究。このカテゴリはSFに対する言及から、SFが社会的にどのような見られ方をしているのかを考えるものです。本日は三島由紀夫「一SFファンのわがままな希望」というSF同人誌『宇宙塵』に寄せられた文章です。

 私は心から日本に立派なSFが生れることを望んでゐる。それで、(かう傲語してもよいと思ふが)、日本人によって書かれたSFには大てい目をとほしてゐるつもりである。

 これが冒頭です。さて、次がこの文章の趣旨になるのですが、

 しかしいかに未来の話とはいへ、國籍不明の片仮名名前などが出てきて、アメリカのハードボイルド小説のやうな言行を示すのにはとてもついて行けない。さうかと言つて、日本的な香りを出さうとしたものが、ミイラとりがミイラになつて、日本的感性に逆行するやうな結果になつたのもいただけない。

 そして、この不満は結局純文学に対する不満と一緒で、日本SFの欠点が純文学全般の欠点のミニチュアのように思えるのが情けないと三島は書く。

 SFは本来、いくら知的でありすぎてもよい自由なジャンルである。アメリカでも、SFには特有のスフィスティケイテッドな讀者が多いと聞いてゐる。日本のさういふ讀者の気むづかしい鑑賞眼をも満足させてくれるものが、續々と出て来てほしい。

 そして、三島は海外作家のすべてを買っているわけではないとブラッドベリを「SFとしても邪道なばかりか、文學としても三流品」とやっつけ、「SFからはすくなくとも、低次のセンチメンタリズムが払拭されなければならぬ。」と主張する。

 私は心中、近代ヒューマニズムを完全に克服する最初の文學はSFではないか、とさへ思つているのである。その意味で「宇宙塵」の地道な努力には、ひそかに敬意を拂つてゐる。

 三島の理想とするSFの姿がこの最後の文章に表れていますが、オプティミズム的なSF、また、ブラッドベリのような抒情的な作品は気に食わないのでしょう。近代ヒューマニズムとは自然より人間中心の考え方だそうです。日本人によって書かれたSFは大てい読んでいると豪語している三島ですが、この前、小松左京の『牙の時代』の解説で、『日本アパッチ族』を読んでいたことがわかる部分がありますし、彼がSFに興味を持っていたこと、その可能性に注目していたことがわかります。ただし、比較的SFに近い作家である安部公房との対談では、彼らはSFという言葉を一つも発していないし、あくまで文学活動の中心ではなく、辺縁にあったのです。最もSFに近い作品である『美しい星』においても、あくまでSF的手法を使った純文学であり、SFではないと思います。

 三島とSFを示す文章はこちら(乗杉純という方のエッセイ)にもありますので、興味のある方は読んでみてください(ちなみに円盤を一緒にさがしたのは北村小松であって、小松左京ではないと思います)。

SF研究 『国文学 解釈と教材の研究』筒井康隆 現代文学の実験工房

 今日は『国文学』昭和五十六年八月号の筒井康隆特集号を資料に考えたいと思います。

山口昌男「筒井康隆に関する三つの断章」

 第三の断章 方法論的に

 筒井氏の「やつあたり文化論」の解説の中で小中陽太郎氏も指摘していることであるが、「現代SFの特質とは」(国文学50・3)と題する氏のSF論は、今日最も刺激的な文学論の一つである。
 筒井氏が、親近感を抱いている作家大江健三郎氏の「ピンチランナー調書」や「同時代ゲーム」、または石川淳氏の「狂風記」などの、今日最も意識してラディカルな方法の開拓を目ざしている作家の作品が、時間の制限を越える綺想の展開という一点においてSFに近づいていることは、様々な人によって指摘されていることである。

 
山口昌男氏は人類学者です。ここでは文学の手法がSFに近づいているという、「SFの手法を取り入れる」という言説とはニュアンスが異なっています。山口氏は筒井氏の「SFが荒唐無稽な絵空事と蔑まれる」という傾向を嘆いていることを記号論によって説明します。

 
イスラエルの記号学者イトマール・イヴェン=ゾハールは、一文化の中の文学は複合系(ポリシステム)から成っていると説く。つまり、これまで、ジャンルの交替というような形で言われて来たことを、イヴェン=ゾハールは、「正統(しょうとう)」と「非正統」の間のダイナミックな関係で説明がつくと言う。「認定された」分野は、文学の世界の中心を構成し、「認定外」は周縁にとどまる。イヴェン=ゾハールは、後者の例として児童文学の手法、翻案小説を挙げる。「認定外」の手法は、ふつう正統文学の基準に拘束されない自由を享受するから、通俗文化の中に組み込まれている大胆な発想を容易に自らの中に取り込むことができる。その結果、筒井氏の定義する次のような特色をSFは帯びる。

 
そして、「超虚構性」が「正統(カノナイズド)」小説(おそらくリアリズム小説)が潜在的に持つ虚構性を、SFはその手法(時間の操作、空間の転位)によって表面化してしまうことが語られます。そして、「超虚構性」を使って成功をおさめたのが中南米文学であるという主張があるのです。「記号論によるSF理解」の部分はものすごく面白いですねえ。

小林信彦「助走の時代」

 昭和三十八年がどういう年かといえば、三月五日にSF作家クラブの発起人会が開かれ、東都書房が〈東都SF〉の一冊目として「燃える傾斜」を刊行したとしか言いようがない。ミステリー・ブームが続いており、SFはマスコミ的にみれば存在しているかどうかがたよりない時期である。(もちろん、「SFマガジン」は出ていたが、外部の目でみれば、辛うじてという感じで、それが苦戦だったことは福島正実がのちにみずから記している。)

 純文学関係者がそうであるように、当時のSF関係者は、テレビの裏方で稼ぐのならまだしも、中間小説誌にSF作家が執筆するのを嫌っていた。それによってSFそのものが低く見られるのをおそれたのであろう。

 その種の雑誌を編集している知人に問い合わせると、
 ――あの人には注目していた。SFは要らないが、新しいユーモア小説なら欲しい。
 という返事だった。


 小林信彦氏はもちろん作家。僕は「唐獅子シリーズ」や「オヨヨシリーズ」が好きな作品です。この文章から推測するに、上の文章は『未踏の時代』を参考にしているように思えます。筒井氏が中間小説誌に進出するときに、小林氏がその紹介役をしたというお話です。

柘植光彦「エッセイスト筒井康隆の批評精神」

 
あるいはこの“怪しげ”という感覚の中には、日本のSF作家というものに対する“うさんくささ”が、かなり大きく含まれていたかもしれない。私はSF好きのほうだが、日本の「SF幼年期」のころの作家たちのオリジナリティのなさには、失望していた。一人だけある作家のショート・ショートが好きだったが、その中でも特に気にいっていた一篇の完全な原型を、あとでフレドリック・ブラウンの短篇集の中で発見したときには、本当に絶望した。もう二度と日本のSFは読むまいと思った。とにかくアイデアばかり、それも模倣のアイデアばかり先に立ち、哲学もなければ思想もない。そういう一時期が確かにあったと思う。残念ながら今でも、海外のSFのほうが、はるかに私を刺激する。

 柘植光彦氏は文芸評論家。かなり手厳しい評価です。ブラウンの作品ってのはいったいなんなのでしょう。気になります。
 ほかに「筒井康隆の批評精神の特色」の中の〔攻撃方法〕の項で「SFジャンルの文明批評性」というふうに挙げられています。

奥野健男「“空間”の革命的抒情詩人 筒井康隆への序説」

 ぼくはエンジニア出身であったためか、SFには特別の関心があり、アシモフやハインラインやクラークやエルレーモフ=レムのような本格的なSFが日本にうまれることを願っていた。だから安部公房の「第四間氷期」を先駆として、「ボッコちゃん」の星新一、さらには小松左京ら、SF作家の出現に、ぼくは快哉を叫んだ。(なぜなら、ぼくの理科系の友人の多数は、日本の文学者は自然科学ぎらいで、科学に全く弱いから、日本に本格的SFなどうまれるわけはないと広言していたし、一方文学関係の友人たちはSFなど文学じゃないと頭からバカにしていたから。)

 ここでは黎明期のSFに対する文学側からの意識が見えると思います。

荒巻義雄「エディプス王としての筒井康隆」

 我々人間の文学を読む動機は様々である。そうした文学・読者・社会環境の総体的関係において、文学は捉えられるべき時代に来ていると思う。今や、文学は“芸術のための芸術”を標榜して孤立することはできないのだ。
 “内向”の世代が、己れの内面に閉じ籠り過ぎたために難解なものとなり、読者大衆に対し全く何らの影響を与えなかった前例をみるにつけ、私は強くそう思う。筒井康隆に限らずSFが成功した理由も、そこにある。我々は通俗を惧れず読者に直結した。批評家を恐れず、大衆化を意識した。しかし、SFの通俗性はよく教育された今日の若い人たちの要求に、十分答え得るものである。

 
荒巻義雄氏はSF作家。ここではSF界内部の言説として荒巻義雄はSFは大衆読者と繋がってきたからこそ成功したといい、純文学の独りよがりなところを批判しているように思います。時代の傾向が中間小説化していく中で出た発言でしょうか。

 ほかに川又千秋の「SF、虚構の優位」は「これまでのSFは虚構であることから目をそむけてきた」とし、ガーンズバックをはじめとして、SFとは「有用であり」「正当性を持ち」「社会的に存在意義があり」・・・・・・「決してただの夢物語ではない」ということをしきりと強調していた。しかし、筒井康隆は処女短篇集でこう言い放った。「SFは法螺話だと思っている。」SFの虚構性が意識されたのはニューウェーブのときであって、筒井康隆というSF作家の意識がここからわかる、という非常に面白い指摘をしている重要な筒井康隆論です。

SF研究⑧ 『国文學 解釈と教材の研究』大衆文学・物語のアルケオロジー

 今日は『国文学 解釈と教材の研究』昭和六十一年8月号より。大衆文学の特集号です。ちょっと面倒くさいので、SFと記されているところを片っ端から挙げていきます。

磯田光一・川本三郎「大衆文化、近代化のなかで」対談

〈大衆文学〉は歴史的概念

磯田 〈大衆文学〉という言葉自体に、ぼく自身ずいぶん抵抗を感じるんです。〈大衆文化〉というのだったらある程度はわかるけれども、今や隆盛のSFやノンフィクションその他ひっくるめて、かつて大衆文学と呼ばれていたものに含めていいのかどうか。(略)大衆文学という概念そのものが歴史的概念と言い切っていいのではないか。むしろエンターテイメントの可能性として考えたほうがいいのではないか。

昭和二十年代の位置

磯田 そうすると、どうでしょうかね。
高度成長以降いろんな形でSFその他となって現れてくる、その流れをさかのぼった場合、昭和二十年代だったらどんなものがあるかしら。
川本 作品でですか。あのころですと映画があり、トーキーになるところですね。
磯田 昭和初年の場合ですね。だからやはりSFとか、ああいうものは新感覚派とかあの時代から・・・・・・
川本 稲垣足穂はそうですね。大衆文学のほうではそういう流れはあるかなあ。
磯田 やっぱりウエルズとか、ああいう宇宙ものの翻訳なんかも基礎になっているのかもしれないな。
川本 映画の中ではすでに、そもそもジョルジュ・メリエスの『月世界旅行』というのはSFですから、そういうのはおかしくなかったと思いますね。
磯田 そうするとこんどは中間小説そのものが純文学と大衆文学との中間路線を行きながらも、また一方映画という新ジャンルが、逆に未来小説的なものを先取りしちゃってる面はありますね。

尾崎秀樹「変貌する大衆文学―大衆文学の論理―」

 社会派推理の書き手だった梶山秀之、水上勉、黒岩重吾らは次第に風俗性を加え、それぞれの鉱脈を掘り進み、企業物に、土着的なものに、あるいは現代人の欲望にメスを入れる方向にと展開してゆくが、同時に時間や空間の軸を自在にとらえた作品も多くなり、SFやPFが人気を集める。星新一のショート・ショート、筒井康隆のパロディ、小松左京の政治小説的社会批判など、戦後世代の読者をとらえ、SF的手法は純文学から時代小説にまで波及する。

 戦後の大衆文学は「現代性」と「風俗性」と「記録性」の三つの要素を強めてきたという著者の主張から、上記のように松本清張・森村誠一が取り上げられ、その流れの中でSFはポリティカル・フィクションと同列で取り扱われている。ここでは文学の側から「SF的手法は純文学から時代小説にまで波及する」と書かれており、注目される。

由良君美「日本大衆文学のSF的展開―賀川豊彦『空中征服』の一考察―」

 従って『死線を越えて』と同様、『空中征服』も賀川の抱く社会理想からの現実批判であるから、この作品をひたすら純粋ファンタジーとしてのSFと考えることにはもとより難点があろう。
 しかし広く大衆文学ないし〈下位文学(Subliterature)〉ないし〈下からの文学(Infraliterature)〉を考慮に入れて考えないならば、近代日本におけるSFの展開も、いきおい第二次大戦以降のSFジャンルの隆盛化の時期以降に限られてしまい、本来〈御噺〉として成立し、上位文学の底流をなしながら、つねに上位文学の枯渇に対して活性源をなしてきた目にみえないものの文学史を切り落してしまうことになろう。 
 ことに
日本の上位文学には乏しいユートピア的SF的文学の系列のなかにあって、大衆文学におけるこの系列は豊とは言えないにしても、明らかに戦後におけるSFのジャンル的商業的独立の素地を形づくっていると考えねばなるまい。

 また幻想文学のジャンル的独立に伴い、幻想文学とSFとの相違も多くの議論の対象となり、旧来のユートピア文学、アレゴリー文学との区別の問題も紛糾を極めている。(略)わたしの考えの極く要点のみを述べれば、トドロフのように〈驚異的なもの〉〈気味わるいもの〉と〈幻想的なもの〉との間に一線を画そうとするのには無理があり、またサヴィンのように〈驚異的なもの〉〈異化的なもの〉をSF本来の要素として確立しようとするのにも難点があり、またラブキンのようにリアリズム的「物語世界の規定諸規制」の百八十度転換を〈幻想的〉と考える区別も定立不可能だということである。むしろマーク・ローズの考えのように、
SFすら「ロマンスの一形式」として緩く把握し、そのなかに数種の特徴を立て、さらに歴史的限定を加えるのが妥当ではないかと考える。

 このアレゴリー性と並行して、時間=空間の自由な変換というSF性が同時的に進行し、この作品のSF的性格を強く印象づける。(略)〈時空乱し〉によるSF的手法は、賀川のキリスト教社会主義のドグマと重なり合うとき、この作品のもう一つの特徴を形づくる。

 だがわれわれは思う、
第二次大戦後の日本で、昭和四十年代を前後して大正期から昭和初期の大衆文学の伝奇小説や探偵小説が復権され、科学技術・宇宙科学の現実における発展と、テレビその他の視覚メディアの日常化のなかで日本のSFも飛躍的な進歩をとげ、小松左京、筒井康隆、光瀬龍、眉村卓、平井和正たちが陸続と現われ、現在はその第二世代まで登場する隆盛を誇ることになったが、その基底に幾多の腐葉土があったとして、その隠れたしかし確実な捨石の一つに、賀川のいささか不当に無視されている『空中征服』があるということを。

 
由良君美さんは元東京大学教授・英文学者であり、巽孝之『日本SF論争史』にもその名は登場します。ここでは上位文学と下位文学にわけていて、SFは下位文学のほうに入っています。しかし、もちろん下位文学を否定しているわけではありません。この時代はSFが文学に注目されていて、『国文学』誌上でも幾度かSFの特集が組まれています。主にSF的な手法が注目されていたのですが、ここにもそれが表れていると思います。ここまで全部いずれもSFが隆盛しているというふうに書かれていますね。

エンターテイメントの旗手たち

 作家紹介のコーナーです。19人の作家が紹介されています。SF専門の作家は入っていず、筒井康隆、半村良という比較的オールラウンダーな二人が入っています。あくまで僕の印象かもしれないですが。

大衆文学・名作文学館への招待

 名作を紹介。74作品が挙げられています。その中でSF関係は井上ひさし『吉里吉里人』、星新一『作品一〇〇』、筒井康隆「東海道戦争」、小松左京「日本アパッチ族」、半村良『妖星伝』です。あと個人的に「くの一忍法帖」「ドグラ・マグラ」もSFっぽいですよね。


 以上でございます。次回は同じ『国文学』のSF特集号を取上げたいと思います。

SF研究⑦ 筒井康隆「面白さということ」平井和正「変質SF作家はだれだ?」

 今日はまず筒井康隆「おもしろさということ」(『筒井康隆全集』2巻収録 初出「SF新聞」三号 昭和四十一年十一月)から考えてみたいと思います。

 SFの話をするスペースがなくなってしまった。
 文学の世界でも、面白すぎると文学ではなくなるらしい
 面白いものを、ただ面白いというだけでの理由で低俗なものと決めてかかる人がいっぱいいる。腹をかかえて笑いころげたあとで、笑わされたといって怒る奴までいる。
 直木賞候補にあがった星氏の作品は「実に面白い。文句なしに面白い。しかし文学ではない」という評価を受けた。文句なしに面白いものがなぜ文学ではないのか?この批評をした老大家は、その理由をひとことも述べていなかった。
 同じく生島治郎氏の作品も同様の憂目を見た。「惜しむらくは面白すぎる」文学賞を受けたような作品はぜんぶ、あまり面白いものではなかったらしい。(略)
 しかし僕は、どういわれようと、やっぱり面白いものを書こうと思う。僕の作品が文学と評価されなくてもいい。文学と評価されたら、もうおしまいだ。文学なんて誰が書くもんか

 
この文章では全体的に日本人が笑いを解さない民族であることが語られています。そして、教訓主義的・真面目主義的文壇を批判しています。そもそも直木賞というエンターテイメントの賞で、こういう発言が出るところに時代を感じるような気がします。直木賞の歴史もこれから調べていきたいと思います。

 次に平井和正『ウルフランド』(角川文庫 昭和五十八年五月二十五日 初版発行)収録の「変質SF作家はだれだ?」(初出「奇想天外」1976年五月)を資料として考えたいと思います。

 私はなんでまた、こんな話をはじめたのだろうか?そうだった、「あなたもSF作家になれる(わけではない)」が軽妙に書かれているだけに、日本SF草創期からの同志・戦友として、いたく心を揺さぶられたからなのだ。彼がさりげなく語っている「士農工商×××SF作家」時代の屈辱、悲哀、忍耐、持続する志のことごとくが、とりも直さず私自身のものだったからなのだ。そして不当な蔑視と差別にくじけず、泣き言も口にせず、ふてぶてしく馬鹿話で笑いとばして生き延びてきたプロセスも私のものだったからだ。
 先月号の小松・石川対談で語られた“SF作家無惨”は草創期に発生したSF仲間が大なり小なり経験していることであろう。プロフェッショナルの道とは、こんなものである。しかも伝統のないところで活動するのである。とはいえ生命を張るとか伝統を築くといった大仰さはなかった。悲壮な思い入れこそなかったが、みなそれぞれ覚悟をきめていたと思われる。それゆえSF作家仲間は底抜けに快活で透明で朗らかだった。傍からの雑音――“SF作家はメダカの群れ”“早川コケたらみなコケた”とそしられても、動ずることがなかった。PR誌、学習雑誌、TV動画シナリオ、少年雑誌と手当たりしだいにシコシコと書き続けた。まったくなんというヴァイタリティーだったろう。われわれは“頑張っちゃった”のである。

 
出ました、「士農工商犬SF」です。ここでは、SF創成期にSFが「不当な蔑視と差別」を受けていた事が語られています。それにしても、誰がこんなことを言っていたのでしょう。ほかにも誰かが書いていたような気がしますので、さがしてみたいと思います。
 さて、この文章ではなぜSF作家たちが早川書房を離れていったのかが書かれています。「法外な原稿料の安さ」であったが、それでも寄稿していたのは森優(南山宏)がいたからで、その森優と出版社側とのSFに対する意識の違いがあったと。森優がやめて以降、SF作家は次々と早川から離れていった・・・・・・まとめるとこうなります。その森優の早川を離れた理由も、「彼のSF出版推進者としての構想を半ば打ち切り、身を退かざるを得ぬ破目に追いこまれた」「おまえにはもう用がない、と宣告されて森優が辞職したとき」と少し過激な言葉が使われていますが、事実関係はどうだったのでしょうか。以降も調べていきたいと思います。

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