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SF素人が空想科学小説に耽溺するブログ。

モラトリアム

   
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心機一転して、こちらに移動しました。

このブログを4年ほどほったらかしにしていましたが、「モラトリアム2」と名乗り、こちらに移動して、読書日記をつけております。まったく読書傾向が違いますが、少しでも興味を持たれたら遊びに来てください。
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那須正幹「ジ エンド オブ ザ ワールド」(ポプラ社文庫)

中東で起こった戦争をきっかけに世界各地で核爆弾が爆発。避難したシェルターの中でひとり生き残った少年は(表題作)。卒園6年後に行われた幼稚園の同窓会で、だんだん全員が思い出しはじめた死んだあの子のこと(「約束」)。30年前に書かれた鮮烈な短編10篇がよみがえる。


「物語のある広告コピー」(パイインターナショナル)

広告は時に、小説より面白い。

 本書では、広告コピーの中でも特にストーリー性が強く、詩や短編小説のような世界観で綴られた作品を紹介します。
 ブランドメッセージの伝え方を学ぶコピーライターの「教科書」としてはもちろん、ストーリーを味わう「エッセイ・物語集」としても楽しめる1冊です。(帯および「はじめに」より)


 最近、広告コピーの本にはまっています。

 ストーリーを感じる広告コピーを「家族」「女性・恋」「男性」「人生」「企業」の項目に分けて掲載。ただボディーコピーを載せているだけではなく、ポスターであったり、コピー制作者本人による解説がついており、コピーにのせた熱い思いや社会に発するメッセージが伝えられていて興味深い。

 駅や車両内や街頭やテレビや・・・etc。読み流してしまいそうなそれらの中の言葉にハッとさせられたり、ホッとさせられたり、ヘッと鼻で笑ってみたり・・・。でも、いいコピーは心の奥をついて、脳裏に必ず残るもの。
 NIKKEIの岡田監督への娘からの手紙には泣かされるし、「あした、なに着て生きていく?」(earth & ecology)には生きることとと着ることの不可分さに気づき、「それでも、前を向く。」(JT)に男の哀愁を感じ、「FOR LOVE OR MONEY?」(NEW BALANCE)に企業の矜持を見る。

 世の中のさまざまなコピーの裏には、それを打ち出す人の思いと狙いが詰まっている。
 そのことに気づくだけでも、また世界を見る楽しみが増えるというものだ。と思わず感想がコピー調になってしまうくらい楽しい本でした。

SF読もうぜ(370) 小松左京「召集令状」(角川文庫)

同じ課の新入社員武井に、ある日、召集令状が届いた。「たちの悪いいたずらだ」と気にも止めずにいたのだが、次々と男子社員に令状が届きだした。そして、彼らはそろって無断欠勤をはじめて、ある日「戦死公報」が届くようになる。2週間で失踪した若者はなんと7,500人。やがてその赤紙は十代の少年にも届くようになり……(『召集令状』)。表題作ほか計8編の傑作短編を収録。(角川書店:紹介文より)


 収録作:○「戦争はなかった」◎「二〇一〇年八月十五日」☆「地には平和を」○「春の軍隊」○「コップ一杯の戦争」○「夢からの脱走」☆「お召し」◎「召集令状」

 あの戦争を二度と繰り返すな!
 この本が発する強いメッセージはそれに尽きる。
 「二〇一〇年八月十五日」は戦争の記憶が風化した日本を描いた作品だが、身につまされるものがある。この本には小松左京自身が体験した戦争が描かれている。それは、ここまで悲惨なんだよなと震えがくるほどだ。身の回りで起きる空襲、偶然で分けられる生と死、不条理な暴力と世情の混乱。
 戦争体験がすべての作品に陰を落としている。特に印象的なのは「地には平和を」。ポツダム宣言を受諾しなかったら日本はどうなっていたのか?自身をモデルに描き出した世界は陰惨で救いようがない。SFでしか描けない作品を世に問おうとした作者の姿勢そのものに胸を打たれます。

サンキュータツオ「ヘンな論文」(角川学芸出版)


珍論文ハンターのサンキュータツオが、人生の貴重な時間の多くを一見無駄な研究に費やしている研究者たちの大まじめな珍論文を、芸人の嗅覚で突っ込みながら解説する、知的エンターテインメント本!(KADOKAWAオフィシャルサイトより)


 お気に入りを列挙してみると・・・。

 「河原町のジュリー」という伝説的ホームレスの研究。
 公園の土手に座っているカップルの観察の論文では「覗きでは!?」という鋭いツッコミが冴えわたる。
 不倫男をインタビューし、データ収集。
 女子高生と教師の麗しい物語を描いた「コーヒーカップの音の科学」。
 共学に変わって男子の目があったら女子の生態はどうなる?という調査。
 「元近鉄ファン」の生態調査。
 胸の揺れとブラのずれ。

などなど、どうしてそのポイント?というようなタモリ倶楽部的面白さのオンパレード。誰の頭にも浮かぶ「どうして先生(或いは研究者)はそれを・・・?」という謎を解いていくミステリ的な興奮が各章に立ち昇ってくる。しかし、いずれも読んでいる途中はニヤニヤしていながらも、終わりにはフムフムとうなずいている。それは、学問とは何かというテーマの根源を突いているからでしょう。著者はお笑い芸人でありながら、日本語学者という学究の徒。学問を笑いに変換しながらも、その本質を見失ってはおらず、有難く、何かを教わった気分になれるすてきな本でした。

小松和彦「異界と日本人」(角川ソフィア文庫)

古来、私たちは未知のものへの恐れを、物語に託し、語り伝えてきた。日常の向こう側に広がる「異界」では、陰陽師・安倍晴明が悪霊たちと戦い、狐は美女に姿を変え、時期の流れさえ歪む。源義経の「虎の巻」、大江山の鬼退治伝説、浦嶋太郎の龍宮伝説、俵藤太伝説、七夕伝説…。いまも語り継がれる絵巻に描かれた異界物語を読み解きながら、日本人の隠された精神性に迫る。妖怪研究の第一人者による「異界論」の決定版。(角川ソフィア文庫:紹介文より)


 人造人間はなにも西洋のゴーレムの専売特許ではない。
 反魂の術というものが東洋にはある。「撰集抄」では西行が死体の寄せ集めから人間を造ろうとして、レシピを間違えて失敗したという話です。
 そのような不思議な話がたくさん紹介してあるすてきな本です。

 「酒呑童子」の話には前々から興味があって、ぜひぜひ読んでみたい。猟奇的事件を扱った話であり、怪物退治譚ともなっており、きっと面白いはずだ。大スター安部清明も登場するし。
 ただ、ここにも『妖精学入門』で書かれていたような、「土着の神が宗教勢力によって弱体化していく」という構図が見えて、洋の東西を問わず同じ動きがあって興味深い。
 本文中に、「王権はそおれを維持するために、絶えず「異界」を周辺部に作り出し、そこから立ち現れる妖怪を退治し続ける必要があった」「この構図は現代でも変わっていない」という言葉があり、深く感銘を受けた。いろいろと昨今のニュースを考え合わせると深くうなずけるところだ。

 ほかにも「七夕伝説」で蔓で宇宙まで行っちゃう(「ジャックと豆の木」を思い起こさせる)話だとか、日本版「ガリバー旅行記」である「御曹子島渡」もすごく面白そう。後者は挿画が強烈で、人面馬はほんとうに気味が悪い。

 妖怪というものは、社会の抱くコンプレックスや罪悪(闇)にすみついているようです。
 現代の「異界」を描くSF・ファンタジー・劇画・アニメーション作家たちに、それらを奥深く享受させていただきくときに、どのような伝統や背景からそれが生み出されてきたのか読み解くうえでたいへん参考になる書だと思いました。

「悪魔の話」池内紀(講談社現代新書)

現われる時間は夜、好きな色は黒。人に禍いと死をもたらし、宇宙をも破壊しつくすすさまじい力…。世界の半分を支配する闇の帝王たちが物語るものはなにか?その誕生から性格、分類、材質まで、「悪魔」の観念が生みだした華麗な精神絵巻をよむ。(講談社現代新書:紹介文より)

 悪魔にまつわる色々なお話。
 僕の中のイメージ。SFによく出てくる契約魔の悪魔。オカルトホラーの悪魔たち(「エクソシスト」はホントに怖かった!)。「聖☆お兄さん」や「鬼灯の冷徹」などの神仏ギャグに登場する悪魔。
 この本では、キリスト教以前から現代までの「悪魔的イメージ」を辿る。

 原初の悪魔の絵画的イメージは、動物の合体や尻に目鼻があったりして怖い。「ベルセルク」の怪物や「デビルマン」の世界。そこから徐々に現在一般に悪魔だと認知される姿へと変遷していく。

 悪魔との契約の話も載っています。当然、僕の脳裏には星新一の悪魔との契約ショートショートが現れます。悪魔を呼び出す呪文までこの本には載っているんですよ!残念ながら「エロイムエッサイム」ではないんですが・・・。

 悪魔の総数についても議論があるようで、4463万5569だとか11兆もいるとか・・・どっちにしても多すぎ!

 後半は魔女の話となったり、錬金術の話になったり、さまざまな話題に脱線していくが、その脱線具合もまた面白かったり。似たところで、久々に渋沢龍彦の著作をまた読みたくなってきました。

 同著者の作品感想
  「幻獣の話」

「現代〈死語〉ノート」小林信彦(岩波新書)

「太陽族」「黄色いダイヤ」「私は嘘は申しません」「あたり前田のクラッカー」「ナウ」…。時代の姿をもっともよく映し出すのは、誰もが口にし、やがて消えて行った流行語である。「もはや戦後ではない」とされた一九五六年から二十年にわたるキイワードを紹介する、同時代観察エッセー。(岩波新書:紹介文より)

 死語についての記録。

 現在でも定着しているものもちらほら。曲り角(仏映画の「危険な曲り角」より)や反面教師(毛沢東語録より)なんかは学校のテストでも出ますよね。

 でも、どちらかというと忘れ去られた言葉のほうに僕は興味が出てしまいます。
 「ケ・セラ・セラ」「アジャパー」「あたり前田のクラッカー」「ネチョリンコン」「むちゃくちゃでござりまするがな」・・・。書き出してみるだけで面白いではないですか。

 植木等が好きなので、たくさんの流行語が知れてよかった。「わかっちゃいるけどやめられない」「こりゃまた失礼しました」。ときどき使っちゃいます。OLという語句がBGという語句の後釜だったり、日本沈没が流行した1973年の週末ムードも伝わって面白い。

 しかし、ストリーキングなんてのはなんのためにやるか読んでもわからない。なんのために全裸で公の場を通り抜けなければならないのか?「記憶にございません」はこの前、どっかの大臣が言ってましたよね。

 そのうち「安心してください」なんかも味わい深い言葉になるのかもね。

「幻獣の話」池内紀(講談社現代新書)

一角獣から鳳凰、ゴジラまで――。人はどこまで空想の翼を翔かせえたか? 神話・伝説、宗教、芸術が生んだおびただしい幻獣は、何を物語るか? 絶対の美、恐怖の極、珍妙笑止な獣など、人間の華麗な精神絵巻をひもとく。(講談社現代新書:紹介文より)

 マルコ・ポーロは大ぼら吹きだと思っていた。けれども、そうではないようだ。
 マルコ・ポーロの語った幻獣たちや地誌。

  樽のような体躯のヘビ⇒ワニ
  一角獣⇒サイ
  「ジパングは黄金の国」のような奇抜なイメージ⇒現地の人に流布していたもの

 なるほど。マルコ・ポーロは本当に東方で見聞きしたものを書いたのだ。
 そして、人々にとって未知の動物は「幻獣」になるのですね。

 顔が両肩の間にあるヒトや尻尾のある巨人、というのも全て地誌や学術的な本に掲載されていたものだ。「幻獣紳士録」ではセイレーンや鵺など、頭の中で図像を作るとワクワクする幻獣たちが盛りだくさん。

 最後の章は「ゴーレムからロボットへー二十世紀の幻獣」。SFファンには楽しいかもしれない。カレル・チャペックの創った「ロボット」のお話。実際にAIやロボットが我々の仕事を奪う可能性が指摘される今日、「ロビータ」がもともと「辛い労働」という意味であることを考えると深く考え込んでしまいます。それから解放されるだけならいいのだけれど、と嘆息。

 内容だけでなくゴヤの絵画や『山海経』の図像なども楽しい本でした。

「妖精学入門」井村君江(講談社現代新書)

ケルトの小さな神々からシェイクスピア、ピーター・パンまで、妖精の誕生・分類・系譜を網羅。多彩なカラー図版も楽しめる、はじめての妖精百科。(講談社現代新書:紹介文より)

 今やファンタジーに普通に登場する妖精。
 イメージは小さくて羽があって悪戯好き、少年の風貌・・・エトセトラ。
 そのルーツはどこに?

 それはケルトの思想。ケルトの考え方には、日本人に親近感のあるアニミズムの思想があって面白い。特にキリスト教がヨーロッパに広まっていく前のドルイド教の思想に興味がわきます。

 妖精の種類「小辞典」は上記のような僕の妖精に対する貧困なイメージから解放してくれた。
 妖精の多様性に驚く。何となく小さくてフワフワ、光を放つ奴しかイメージはなかったけれど、巨人の妖精「スプリガン」(マンガの題名にもなっていましたね)をはじめ、水棲馬やゴブリンやらグレムリンやらいろいろなものがいるな、と。

 現在の妖精のイメージはシェイクスピアが作り出したと「創造された多彩な妖精像」の章で語られております。つくづくシェイクスピアという人は偉大ですなあ。ピーターパンやティンカーベルについても語られており、自分の妖精像のイメージの根源がわかります。

 最後にオカルト好きには、コナン・ドイルの妖精事件にも触れてあって、それもまた面白いです。

 たくさんの妖精の図像もあり、たいへん楽しませていただきました。

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