その世紀の、その世界が禁じた本を発見次第焼くのがモンターグの任務だった。その世界は、高速道路をスロー・スピードで走るのも、徒歩運動することも、すべて禁じていた。人びとは耳に《海の貝》と名づけた超小型トランジスター・ラジオをはめこみ、居間の四囲の壁にはテレビを設置して、毎日うつつをぬかしていたのである。だがそんな時、モンターグは、ふとしたことから恐るべき秘密を持ってしまったのだった・・・・・・!
未来を詩の心で謳うSFの抒情詩人ブラッドベリが、その持つ感受性と才能の全てをうちこんで結晶させた不朽の名作!
こ、こえー。
管理社会の恐ろしさ、痴呆化した大衆・・・・・・。テレビの登場人物が「親戚」であり、それにのめりこむだけの空虚な世界・・・・・・。なにか、「いやーな感じ」が読んでいる間、ずっと、心の中を覆ってしまう。それはきっと、現代の僕達の生活に、よく似ているものがあるからなのでしょう。『家族ゲーム』という映画で、家族が食卓で横一列に並び、テレビを見ながら、無言で飯をかきこんでいる様子を思い出しました。
その中で、ふと疑問を持ってしまった主人公が、反骨心を持ち、体制に反抗していく・・・・・・・という、ありがちなパターンなのですが、全体の暗さというか、重さが、安っぽさを消しています。署長の存在というのも、アンビバレンツな感情を持つ人物の深みがあって、面白かった。
焚書の世界。解説によると、共産主義排斥運動が著者にこの物語を書きいたらしめたのだそうですが、この前読んだ『虚空の眼』といい、アメリカ社会の暗の部分がかいま見える作品ですね。不安にさらされているインテリ層の苦悩なんでしょうか。
イメージによる政治、というところも、最近の日本社会に通ずるところもあるかもしれません。もちろん、これはアメリカ型の政治に近づいたせいでもあるのでしょうが。政治への関心が薄まる中、投票率が上がれば上がるほど、それは衆愚政治につながるのではないか、という不安が僕にはありますが・・・・・・。政治家がテレビで「国民を馬鹿にしちゃいけませんよ」と綺麗事を並べているのを見ると、「本当にそうだろうか?」と思ってしまう。僕も含めて、国民は政治のことをそんなに理解していないと思う。あるのは、「こちらがよさそうだ」という党や政治家個人に付随する曖昧なイメージでしかない。「あの政治家は不倫しているから投票しない」というのは政治や政策自体にはまったく関係ない。
と、脱線してしまいましたが、そういったところにまで、考えが及んでしまう作品だということで。ブラッドベリの作品自体には、そんなに深みとか、真理に通ずるものなどを、あまり感じたことはないけれど、この作品には、それがあるような気がします。
PR
COMMENT