三百万年前の地球に出現した謎の石版は、原始的な道具も知らないヒトザルたちに何をしたのか。月面で発見された同種の石版は、人類に何を意味しているのか。宇宙船ディスカバリー号のコンピュータ、ハル9000はなぜ人類に反乱を起したのか。唯一の生存者ボーマンはどこに行き、何に出会い、何に変貌したのか・・・・・・発表以来25年、SF史上に燦然と輝く記念碑的傑作に、作者クラークの新版序文を付した完全決定版ついに登場。
キューブリックの映画は極力「説明」を避けた映画でした。アーティストであったキューブリックは受け手に読解させることを選び、エンターテイナーであるクラークは大衆にわかりやすく「説明」を尽くした。それが僕の『2001年宇宙の旅』という映画と小説という異なったメディアで刻印された作品に対する見方です。
再読なのですが、やはり映画の「解釈」の一つのテキストとしてこの本を見がちになってしまうのは、しかたのないことですね。あの部屋の中の場面はああいうことだったのか、とか、最後のシーンはそういう意味だったのか・・・・・・とか、映画のシーンを思い浮かべつつ読んでしまいました。
映画が画期的だったのは、提示した物語の説明をしなかったことで、見た人の好奇心を刺激したことだったのでしょうね。「いったいこの映画はなんだったのか?」という。意味がわからない映画というものは、往々にしてただの批判や「変なもの見せやがって」という怒りに終ってしまうところでしょうが、あの映像といい、高尚な話のテンポといい、そういったものが見た人に「ただものではない何か」を感じさせたのでしょう。きっと表面的には現われなかった奥深いものがあるはずだ・・・・・・。『ソラリス』や『攻殻機動隊』にも僕は同じようなことを感じましたが、明確な答えを提示しないという意味では安倍公房やカフカなどの小説を読む感覚にも似ていると思います。
というわけで、小説を読んだとしてもやはり話は映画の方に向いてしまうわけなのですが、あの作品もやはりクラークとキューブリックという二大巨匠の格闘があってこその傑作だと思います。映画では見られなかったシーンもあったりして、特に一番最後のページが僕にはなんともいえずよかった。「スターチャイルド」は小説にしか現われない言葉ですが、地球、そして人類を玩具のように思えるところまでいってしまったボーマンの姿には背筋がゾクゾクしました。コンピュータHALとの戦いの場面も実にわかりやすく楽しかったですし、なにより映画とはテンポが違って、すいすい読めるのがいいですね。そこも楽しみ方が違うところだと思います。
いい意味でも、悪い意味でも映画と存在が絡まりあった特異な作品ですね。
アーサー・C・クラーク作品感想
『幼年期の終り』
『イルカの島』
『海底牧場』
『宇宙のランデブー』
『2001年宇宙の旅』
『2010年宇宙の旅』
『2061年宇宙の旅』
『3001年終局への旅』
『神の鉄槌』
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