トリノでは女子フィギュアのメダルが期待されています。それは過剰ともいえる期待です。JOCには日本選手がメダルをとれないことへの苛立ちか、
抗議の電話が多数かかっているようです。
今回取り上げるのは
『笑う大天使』の映画化も決定した「カーラ教授」こと川原泉の『銀のロマンティック・・・わはは』です。1986年「花とゆめ」に連載されました。
世界で活躍するバレエダンサーを父に持つ由良更紗は自分はバレエに向いてないのではないかと思っている。一方、スピードスケートで「黄金の脚」「
世界のふともも」といわれている影浦忍は世界戦で金メダルを目前にしながら、転倒した選手に巻き込まれる形でケガを負い、かつてのスピードは出せなくなってしまう。そんな二人が偶然スケートリンクで出会う。見よう見まねに遊びでトリプルアクセルを跳ぶ由良と影浦をクラブのペア選手に逃げられたキラキラ・スケートクラブの烏山兄妹(コーチ)が見て、スケートにスカウト。二人はペアのフィギュア選手に転向する・・・・・・。
川原泉のほかのマンガでもそうですが、スポーツマンガにありがちな殺伐とした雰囲気や、敵対関係などはでてきません。和やかに始まり、和やかに終わります。それはこの物語が勝利をテーマにした作品ではないからです。
技術や懸命さは一流だが、芸術点の出ない由良・影浦ペア。「観る者の共感を生み 魅了し そして感動の嵐 貴方と私の魂の共鳴 氷上の奇跡」そんなリリカル・マジック(叙情性の魔法)を「
銀のロマンティック」とコーチは定義し、二人がスケーティングでそれを表現することが最大の目標になるのです。しかし、情熱よりも理性が勝ってしまう主人公更紗は題名に「・・・わはは」がつくように日本人特有の羞恥心や経験不足から、それが理解できません。
世界選手権が影浦のケガの状況により、最後の試合だと知ったとき、由良は影浦のために、影浦は由良のために、最後の試合をお互いのために頑張り、楽しもうと決意します。そこには外界の動静や結果など関係なく、二人だけの世界が作り上げられるのです。ラストは涙なしには読めないと思います。
スポーツの選手には各々のもっているドラマがあり、そこで我々がおこぼれでもらえる感動があると思うのです。まず彼らには自分のために頑張って欲しい。悪い成績でも謝らなくていい。そして、テレビの前に座っているだけの人たちが日本の代表になれるだけの努力をしている人に向かって、なにをえらそうなことをいうことができるのだろうか。競技としてのスポーツをしていた者として私はそう考えています。
もちろんメダルをとれたほうが選手自身もわたしたちも嬉しいことだと思います。しかし、結果がどうであれ、荒川、村主、安藤選手、そして、あの舞台に立っているすべての選手の頑張りは誇るべきものだと思います。
(と、書いた数日後、荒川選手が見事金メダルを獲得しました)
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