1999-2004『週刊モーニング』に連載された幸村誠の本格SF漫画。2002年度星雲賞コミック部門受賞作。
時代は2070年代(2075年以降)、人類は宇宙開発を進め、月面でのヘリウム3の採掘など、資源開発が商業規模で行われている。火星には実験居住施設もあり、木星・土星への有人探査計画も進んでいる。毎日、地上と宇宙とを結ぶ高々度旅客機は軌道上と宇宙とを往復し、宇宙ステーションや月面には多くの人たちが生活し、様々な仕事をしている。だがその一方では、地上の貧困・紛争問題は未解決のままで、宇宙開発の恩恵は、先進各国の独占状態にある。(以上wikipediaより)
スペースデブリ(宇宙ごみ)の回収業者として働く星野八郎太(ハチマキ)はいつか自分の宇宙船を持つのが夢。しかし、「
なぜ自分は宇宙へ来たのか?」現状と夢との差異に戸惑い続ける日々。そんなとき木星往還船の船外活動員の公募が行われることになり・・・・・・。
「プラネテス」とは古代ギリシア語で「
惑う人」、それが転じて「惑星」の意味も持つ言葉だそうです。この標題通り、この漫画には「惑う人」が多々登場します。スペースデブリにより、妻を亡くしたユーリ。いつの間にか「大人になってしまった」自分と格闘するフィー。そして、夢とそれを現実に引き戻そうとする力に抗う星野八郎太。
自然や真空空間などの外宇宙だけでなく、自らの
内宇宙での格闘面をしっかり描いているのがこの漫画を名作たらしめた点です。絶えずもう一人の自分と向き合い続けるハチマキの姿に共感を覚える方は多いはず。この物語は「
理想と現実という二つの事柄の間でどのように折り合いをつけていくのか?」という形式ではないかと感じました。
仏教思想的に自己という小宇宙を追い続けるそのテーマは宮沢賢治の詩に象徴されています。
この不可思議な大きな心象宇宙のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
自分とひとと万象いっしょに至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたったもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいっしょに行かうとする
この変態を恋愛といふ
タナベとハチマキとの関係性はこの詩から生まれたのではないでしょうか。
ハチマキの最後の結論は安易すぎるような気がしないでもないですが、
結局は人間ここに立ち返ってくるしかないのだなとしみじみ感じてしまいました。なんの答えでも一番身近なところに隠れているのかもしれません。
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