すべての生産手段が完璧に自動化され、すべての人間の運命がパンチ・カードによって決定される世界……ピアニストの指を拒絶し、あくことなく自動演奏を続けるプレイヤー・ピアノの世界を描く本書は、『1984年』と『不思議の国のアリス』とのはざまの不可思議な文学空間を生み出した。アメリカ文学の新たな担い手として熱狂的な支持を受けるヴォネガットが現代文明の行方をブラックな笑いのうちにつづった傑作処女長篇。
うーん、ヴォネガットらしい作品だ。
主人公のポールは、ローズウォーターと同様に、富裕階級に属しながら、貧しい人々に対しての、両親の呵責を感じている。こういった、心優しい人物には、感情移入できると思いきや、ポールの優柔不断さというか、受身的な行動にイライラしてしまうのは僕だけでしょうか?
機械に支配される世界だけど、やはり、少し古臭い感は否めないかな。もちろん、ヴォネガットの場合は、「文学」をするために、SFという手法を使っているというくくりなので、その部分に突っ込むのは、あまり正しい見方ではないのでしょうが。でも、そのへんが、やはり弱い小説だなあ、と。
「人類」という巨視的な目線で、文学を描くには、やはりSF(的なもの)を使うしかないわけで、そのあたりはSF読者として、誇るべき部分はありますね。しかし、このように、一般的な目線から、狭いカテゴリだけに語るだけではない作品を見ると、SFというある意味閉鎖されたジャンル作家の書くものが、平面的であるように見えるのは仕方がないことかもしれません。それでも、僕はSFが大好きなわけなのですが。
ところどころに登場する発展途上の国の国王の発言なんかは、吹き出してしまうほどに笑います。特に、国民を「タカル」と奴隷呼ばわりしてしまうところなんか。こういう別の文化形態と比較して笑いを誘うのは、『猫のゆりかご』につながっていくのかなあ。それに比べて、話のトーンは基本的には陰鬱なもので、手法もオーソドックスなものなので、途中、退屈してしまった感は否めません。しかし、逆に、稚気とテーマの重厚さのギャップが、彼の魅力であることは確かなので、これについても、ほかの人はどう思うのかなあ?ということしかいえません。
なにはともあれ、SFのマスターピースであることは確かである作品だと思いました。
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