引退した元情報部員の目覚めたその村には名前がなかった。そればかりか、村人たちはひとり残らず番号で呼ばれている。本屋の主人は98号、掃除夫は189号、ウェイトレスは127号、そして彼自身はなんと6号にされていた!なぜこんな村に彼はいるのか?この村の正体は、またその目的はなにか・・・・・・?渦まく疑惑の中で必死の逃亡をはかる彼―――6号。しかし、その努力は錯綜する虚実の迷路にむなしく消え、ついには彼自身さえ村の重要人物になってしまうのだった!異色のテレビ映画『プリズナー№6』に材をとり、鬼才ディッシュが悪夢的な世界をサスペンス・フルに描く。
おおおおお面白い。基本的にノベライズなどは読まないのですが、これは『2001年宇宙の旅』のように、ただのノベライズではないとのこと。もう、会話からなんかから、洗練されたひねくれた文章が、楽しいし、作品自体がすごく面白い。これは映画も見てみたいなあ。
ある日、突然わけのわからないままに、正体不明の「村」に放り込まれる。不条理小説のような展開に、安部公房の『砂の女』を連想したり、脱走を繰り返し自由を取り戻そうとする主人公に筒井康隆の『脱走と追跡のサンバ』を思い出したり、看守と囚人のどちらがより自由か?という問答に辻仁成の『海峡の光』のテーマについて思い巡らしたり・・・・・・。なんだか、純文学っぽい。
結局、「村」がなんだったのかは最後まではっきりとは語られず、これは『人類皆殺し』と一緒で、個人の知覚の限界を表しているのか、それとも、手段が思想そのものに変化したのを、最後まで思想を語ることをしないことで、表現しようとしたのか・・・・・・。まあ、でも、こういうラストは好きです。
1号の正体は途中から気づいていましたが、まさか××××だったとは!そこまでは、思いもよりませんでした。番号で呼ばれるっていうのは、非人間的社会ですが、国民総背番号制(なのかどうかは議論がなされているようです)が敷かれる今では、近づいているのかなあ?SFでよく描かれるように、いずれコンピュータが社会の中核を担うようになったら、個人は全部番号に過ぎなくなるかもしれない。公共の利益のためには、個人は抹殺されてしまうかもしれない。論理的には正しいかもしれませんが、それは、とても怖い社会だなあとか思ったり。でも、理想的な形でいえば、そういった共産制が理想といえば、理想なんですよね。個人と集団を秤にかけるとすればの話ですが。
この世界もそういう「村」だったのだろうか?
なんだか、色々深読みできて、頭が使える小説です。小難しい話が好きな人、作品を読むより、語ることが好きな人にはたまらない小説だと思います。
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