まんが・アニメに溢れる美少女像はいつ生まれてどう変化したのか?「萌え」行動の起源とは?七〇年台末から今日までの歴史を辿る。
まあまあ面白かった。
理論的にはなるほどなあと思うのですが、引用のしかたとかちょっとおかしいとこあるんじゃないかと感じました。(シリーズものを省いて『カリオストロの城』だけで宮崎駿を論じるところとか)
吾妻ひでお、高橋留美子、宮崎駿が美少女を生み出した主なる三人である、とこの本は論じています。でも、そんなことを本人に言ったら、三人とも否定するような気がします。(実際、『うつうつひでお日記』で吾妻ひでおは「萌え?そんなもん知らん」と言っていたような記憶があります)
男性は徐々に自らの生きる根拠とするものを失っていき、その根拠を七十年代に「女性」に求めた。その女性を傷つける存在としての「男」という自己―読者―に視点をあてて、この本は論じられています。性的な女性を追いかけまわすスケベなマンガ、それに女性の内面を描いた恋愛マンガ、この二つの融合で、女性の性を傷つけることは女性の内面を傷つけることにもなり、男は女性に完全に手を出せなくなり、そして、その結果としてヒロインは無敵化する。男性すらでてこない戦うヒロインの物語はこれが極端化したものだ・・・・・・。うーん、説得力あるなあ。
主人公である男性がヒロインに好かれる根拠がなくなっているというのも納得できます。最近のマンガはなぜ主人公のことをヒロインが好きになっていくのか、その根拠が薄弱なような気がします。要するに、僕の感覚からいうと「都合のいい物語」が増えている、と。作者がお話の世界を構築することよりも、読者の好きな展開づくりが優先されているような気がします。
「「顔」と「体」のキメラの出現」という章で、女の子の内面を獲得しようとした八十年代からの展開が、次にエッチな肉体をもった、内面的キャラクターに移項していくという指摘には大きくうなずいてしまいました。絵図によって示されているのは『幻影少女(ビデオガール』のキャラクター。ロリ顔なのに、身体は成熟した大人のボディ。確かにキメラといえます。これまで、何気なしに見てきたのですが、大きな驚きと発見でした。
文句も言いましたが面白い本でした。
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