主人公の工具楽我聞は、高校生にして解体業社「工具楽屋」の社長も勤めている。表では家屋やビルなどの解体を請け負っているが、裏では政府や企業から表沙汰に出来ない物件の破壊を請負う「こわしや」を本業としている。…が、経営状況は芳しくない。兵器売買グループ・真芝との戦いをはじめとした社長業、楽しい仲間たちとの学生生活、そして工具楽仙術の修行を通じて「こわしや」らの活躍・成長を描く(Wikipedeaより)。『週刊少年サンデー』に2004~05年連載。
福岡県大牟田市は様々な漫画家を輩出している土地です。『11人いる!』『ポーの一族』の萩尾望都、『マカロニほうれん荘』の鴨川つばめ、『エコエコアザラク』の古賀新一などがいます。もちろん、同じ県内でも福岡市や北九州市などの人口の多い土地では数多く漫画家を輩出しているわけですが、あまり目立たない土地柄でありながら(←失礼)、これだけの人材が育つのは、何か風土に秘密があるのでしょうか。さて、もちろん
藤木俊先生も大牟田市出身です。
『こわしや我聞』はウィキペディアによれば、魅力的な登場人物が多い漫画だそうです。特に人気があったのは、最後の方に登場する桃子・A・ラインフォードと國生陽菜だと思います。
東浩紀『動物化するポストモダン』によれば、オタクの世界には「萌え要素」というデータベースがあり、オタクはそれを消費して楽しんでいるのだということです。桃子を例にすると、
金髪碧眼・太眉・白衣・中学生・貧乳・ツンデレなどのキャラクターを構成している部品です。現代的なアニメ・マンガ・ゲームのキャラクターはこのように、これまでのアニメ・マンガ・ゲーム作品が醸成してきた萌える部分、「萌え要素」の組み合わせで成り立っているそうです。
さて、今日論じたいのは國生陽菜というキャラクターの魅力についてです。國生陽菜の萌え要素を挙げてみると黒髪・ショートカット・スーツ姿・
学生なのに秘書といったところだと思います。今日は「なぜ秘書に萌えるのか?」ということで考えてみたいと思います。
またまた、ウィキペディアによれば、
秘書(ひしょ)とは、担当する会社役員・学者・芸術家・議員等(以下、上司)に付き、上司の仕事を補佐する役割を担う職務、職業。またそれを行う人。職務は幅広いが、共通するのは、上司の身の回りの世話、メールや電話の応対、来客の接遇、スケジュール管理、書類・原稿作成などである。
そうです。
昔、
『動物のお医者さん』という漫画で、当番制で秘書をやる回があって、全員分のプリンを作るという秘書の業務(?)がありました。「それじゃお母さんだよ」というツッコミがありましたが、正に秘書の仕事はお母さん的なところがあるわけです。時に國生さんは我聞を厳しく叱咤しますが、子どもを管理する母性的な機能が秘書にはあるわけです。そして、同時にそうでいながら、読者が感情移入する主人公我聞は社長なのです。秘書を馘首することのできる立場、正に上で司る役目であるのです。一方で管理され、一方で管理する側に回る。このアンビバレンツな感情は、この前記事にした
『RANGEMAN』で論じた「SとMの狭間」という感覚に似ている気がします。サルトルはSMを自由と束縛の象徴として論じたそうですが、男女間の恋愛関係というのは多かれ少なかれ、この自由と束縛によるものです。
そもそも「付き合う」という行為は、身も蓋もなく言ってしまえば、「告白」というものを通じて互いの恋愛関係の契約を結ぶことだと思います。そこでは、互いのスケジュールを調整し、自分たちとは別の男女に手を出さないような約束事が取り交わされ、互いへの束縛が生じます。社長と秘書の関係には、この関係に似たものがあり、擬似的恋愛関係が成立しています。そして、男性にとって都合のいいことに、社長である方は相手を馘首できるという生殺与奪の権利を持つことで、有利で自己本位な立場を取ることができるのです。
一例として
ポルノにおける社長と秘書の関係を挙げてみたいと思います。だいたいにおいてポルノの場合、秘書はいじめられる方、社長は自分の権力を行使して秘書を堕としていくという構図が一般的だと思います。このようなポルノの秘書というイメージも萌え要素のデータベースの一つに加えられているものと僕は思います。
また、同時に
二面性というものを秘書は持っています。秘書は職業の一つであり、人間の公的な部分です。國生さんは我聞に対して常に敬語で喋りかけ、役職的な態度を崩しません。対して、人間には私的、プライベートな部分があるはずです。外面の強固な部分が崩れ去り、プライベートな部分が垣間見えるとき、そのギャップに我々は萌えます。ツンデレしかり、委員長キャラしかり。ですから、國生さんが泣いたり、顔を赤らめたり、感情を見せるたびに我々は「おおっ、あの國生さんが泣いた(笑った)」とばかりに、普段感情を出さないだけに、その効果は絶大になるのです。そして、その構図は難攻不落と思われた砦を落とした時のような喜び、
難攻不落のキャラクターをギャルゲーで落とした時のような喜びともいえるでしょう。
と、長々と小難しく喋って参りましたが、要するに一言でいってしまえば、「
國生さん、萌えー!」ということです。そして、そのような魅力的なキャラクターを生み出す藤木俊先生はすごい!と。
9月19日のブログの記事では、
モリタイシ先生に「加藤鷹風に」説教されたと語る藤木先生ではありますが、次回の読みきりも頑張っていただいて、他の大牟田出身の漫画家同様、大きな飛躍を果してほしいと思いますし、それだけの実力が藤木先生にはあると僕は信じています。
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