狂信的な母親に育てられた風変わりな少女キャリーは16歳。絶対的な母親の権威と、止まるところを知らぬクラス・メートたちの悪意、それに自身の肉体の変化も重なって、彼女は極度に追いつめられた。そして誰も知らなかったのは―――彼女が念動能力の持主であることだった。キャリーの精神が完全にバランスを崩した時、チェンバレンの街は炎に包まれる・・・・・・。話題作家の処女長編。
すっごく面白かった!
怨みはらさでおくべきかー!いじめられっこ魂が復讐心として炸裂し、一つの街を破壊してしまいます。
前半から新聞記事、あるいはチェンバレンの悲劇を追ったノンフィクションの引用で、キャリーによる大事故が起こることを予言しています。不快な母親のキャリーへの虐待、少女たちのいじめ、教師への脅迫など、不快な事実による不吉な重低音の音楽効果みたいなものが、前半にはあり、漲りきった緊張感が破裂した後半へとなだれこんでいくその手腕は処女長編とは思えないほどの技量だなあと思いました。
約束された悲劇へと巻き込まれていくキャリー。
いじめには四層構造があるといわれています。いじめの
被害者(キャリー)、
加害者(クリスら)、いじめをはやしたて面白がる
観衆、そして、ただそれを眺めている
傍観者。そして、その中から、場合によって
仲裁者と呼ばれるいじめを止め、被害者を手助けする役割の人物が登場します。それが、この物語ではスーなんですね。スーの正義感がすごく身にしみますが、彼女の好意(それとも、単に罪悪感なのか)も無駄になってしまいました。
それから、この物語には傍観者の存在はほとんど描かれない。むしろ、物語の登場人物のほとんどは「観衆」であるか、「傍観者」にも入らない無関係な人々なんですね。だから、キャリーが彼らを殺したとしても、同情心もほとんどない。むしろ、「観衆」に対しては、ざまあみろという爽快感のほうが多いんじゃないですかねえ。少なくとも僕はそう感じました。
キャリーの念動能力については、キャリー自身の能力がすごかったのではなくて、状況が一つ一つ重なっていっての事故という感じがしましたね。感電にしても、ガソリン引火にしても、悪条件が重なったとしかいいようがなく、後半で描かれているように、遺伝子から感知してその子を隔離するというような政策は、むしろ超能力者に反感をもたせ、逆効果をもたらす気がします。
全体的には、実際に起こったできごとと、後の人々が調査したことのずれを暴きたてる感じになっていて、ものごとへの偏見に対する鋭い批判の書となっています。こういう正義感に満ちた、真摯な態度の本は大好きです。ほかのキングの作品も猛烈に読みたくなりました。
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