今回はSF界内部では、純文学に対してどのような意識を抱いていたのか、考えてみたいと思います。
まず資料として使うのは、安部公房『人間そっくり』(昭和五十一年四月三十日発行)の福島正実「解説」における文章です。福島正実氏は初代「SFマガジン」編集長。日本のSFの開拓者といわれるお方です。
「わが国で、最初のSF専門誌である「SFマガジン」が創刊されたのは、それよりさらに数年前――昭和三十四年末のことであった。その当時、SFは、
まだごく限られた読者しか持たない、奇矯な娯楽読物としか思われていなかった。海外――とくにアメリカ、イギリスでの、SFの急激な成長は、わが国にも反映して、それらの作品の翻訳出版はようやく盛んになりつつあったが、それでも、
SFの持つ文学としての可能性を認めるものはごく少数で、SF出版は
偏見と誤解の中で苦渋に満ちた時期を送っていた。その頃から、安部さんは、「SFマガジン」と、その編集をしていた私の数少ない理解者であり、協力者であった。」
「さらに、回避しなければならない幾つもの危険があった。その最たるものは、
SFがサイエンティフィックフィクションつまり科学知識によって書かれる小説だという、すでにかなり社会に流布してしまった印象が、そのまま定着することであった。小説の読者は、伝統的に、科学や技術に弱い。小説中にしち面倒な記号や数式や科学・技術用語があると、とたんに尻ごみし後ずさりして、読まないうちからその小説を敬遠してしまう傾向がある。」(下線は引用者)
という風に偏見と誤解の内容を述べておられます。福島正実は文学志向の強い編集者・作家であり、この文章の中にもそれが現れています。
「エンターテイメントとしての完成を主要な目標とすること――エンターテイメントとして自己充足してしまうことは、より重要な可能性を自ら切り棄ててしまうことにほかならなかった。それでは、SFという形式によって、それ以外の形式では表現できないなにものかを表現しようとした、われわれの最初の目的が失われてしまう。」
大衆に広めていく事と、文学としてのSFの可能性という「アンヴビヴァレンツ」。ここでは
文学のうちにSFを認知させようとしている強い意図を感じます。その点で安部公房という作家はSF史を研究する上では非常に重要な作家といえるでしょう。福島正実は「安部さんは、SFが現代小説の新しいジャンルになるだろうことに、私以上に確信と期待を持っているように見えた。」と書いています。
時代がひどく跳びますが(いつかは時代順にまとめたいと考えています)、次に岬兄悟・大原まり子編『SFバカ本 たいやき篇プラス』(廣済堂文庫 平成11年5月1日 初版)における「巻末付録 小松左京特別インタビュー」(聞き手:大原まり子/岬兄悟/星敬/日下三蔵)を使いたいと思います。
「小松 こないだ、『関西文学』って同人誌が潰れかけたんだ。財源破綻で。なんとか立て直して、ぼくも新しく入会金払って、同人費払って会員になった。そうしたら何かしゃべってくれっていうんで、そのときに言ったんだが、
小説は文学の本道だと「純文学派」はいうけれども、「マンガ文学」って言わないだろうか、「アニメーション(文学)」とは言わないだろうか。場合によっては「ゲーム(文学)」とは言わないだろうか。
近代小説の形式ができる前に、純文学こそ小説だと言う前に、そういうさまざまな形式の文芸というものを通じていろんなことを近世の芸術家と庶民はしてきたと。」
資料として適格ではないかもしれませんが、純文学に対しての対抗意識のようなものが仄見えますし、ここでは文学というのはあらゆる可能性を含むもので、メディアが違っていたとしてもその貴賎はないんじゃないか、ということが語られていると思います(この直前には漫才台本を書いていた頃の話がされています)。そういう点ではSFというジャンルはメディア形態が多様だったからでしょう。ここでは
純文学の狭縊さを批判しているように思います。
以上手近にあった資料二つから、お送りいたしました。
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