第三次世界大戦後の2019年。暴走集団のリーダー金田は、幼なじみの鉄雄の事故現場に年老いた顔をした不思議な子どもの姿を見る。鉄雄はアーミーと呼ばれる軍隊に連れて行かれ、金田はその行方を追ううちに、反体勢組織のケイという少女と知り合う。鉄雄は「ラボ」と呼ばれる研究所に収容され、薬を投与されるうちに不思議な力に目覚めていく・・・。そして彼は「アキラ」の存在を知ることとなる・・・。
日本漫画の金字塔。
高校二年生の時に出会いました。それまで、漫画というのはたいしたメディアではないと思っていました。小説などの表現力に対して、漫画は一段下だという考えをすりこまれていたのです。しかし、この作品を読んで腰が抜けました。マンガってすごいや!と思えた最初の作品です。
なんといっても驚いたのはアキラがエネルギーを爆発させた三巻の最後です。アニメーションにも小説にもない圧倒的に迫ってくるその質感。絵として切り取られた一瞬に、爆発したエネルギーが、波にさらわれ踊り狂うビルの群れというヴィジョンによって示される。その破壊描写は、これまで体験したことのない新たな「
破壊の美」を僕にもたらしてくれました。これを読んで以来、僕はビルがぶっ壊れるという描写に異常な執着を感じるようになってしまいました。
ストーリーにもさまざまなものが含まれていて、その複雑さが六巻というやや短いと思われる巻数の中でめまぐるしく展開していく。一巻では無軌道な若者たちの抗争や政治テロに超能力が絡み、二巻ではアキラの存在をめぐるサスペンスに、そして三巻ではアキラをめぐるドタバタ争奪戦、そして破局、四巻からは壊滅後のネオ東京を描き鉄雄の力の暴走、宗教・政治をめぐる争い・・・・・・と続き、ラストの謎解きへと収束していく。一人の人間がよくこれだけのことを思いつくものだ!大友克洋という小宇宙のどでかさを今書きながらひしひしと感じます。そして、きちんと構成された物語展開に、僕は少年誌などのアンケート優先の出たとこ勝負的な作品作りとは違う、ストーリーの構図的な美しさ、強烈な作家性を初めてマンガに感じることができたのです。
後のマンガ界に大きな影響を与える記号的なマンガ表現からの脱却。そして、特に映画的な構図の部分に目を見張ります。雑誌から単行本へ、かなり書き直した様子ですが、その試行錯誤は『AKIRA CLUB』という書籍で垣間見ることができます。
僕は特に小さなコマから、アップになったときのコマの書き込みの細かさの違いや、状況を説明するのにさりげなく場面の遠景などを織り込むシーンに「うーむ」とうなってしまいます。このダイナミックさは確かにこの本のサイズでないと出せない・・・・・・。ゴミゴミした街の落書きや、通路の配管ダクトまで、一枚絵としてすら楽しめるほどの質。
総評としては「
とにかくすごいぞ!」ということでしょうか。「百聞は一見にしかず」という諺がもっとも似合うマンガだと思います。
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COMMENT
映像言語の可能性
渋沢竜彦を読んでいるなんて、ちょっと物好きかな…くらいのつもりで読ませてもらっていたのですが、大友克洋の『AKIRA』も読んでいるということが分かって、ちょいと書き込みました。
私はもう60代のただのおじんです。ただ、まだ若い頃にそういう作新に惹かれました。で、いまも「AKIRA」は手元にあるんですよ!
若い人で、今こういうことを話せる人は少なくなりました。文章も素敵です。
また、暇がある時にゆっくり読ませてもらいます。なにか懐かしい人に再会したような気持ちです。 ← 勝手な思い込みです。
はじめまして。
インターネットの世界に生息していると出不精な僕でもさまざまな人と出会うことができます。僕は年齢の離れている人とおしゃべりするのが好きで、それは僕たちとは違う「物語」を世代の違いから、バックボーンにもってらっしゃるからだと思うのです。
普段は違う「物語」を背負っていても、そういう方たちと本や映画や漫画などの同好のもので語らうことって、とても素晴らしいことですよね。それによって自分の狭量なところや足りないところもわかりますし。なにか気になるところや、それは違うのでは?と思うところがありましたら、遠慮なくコメントをつけていただけるとありがたいです。
若輩者ですが、これからよろしくお願いします。