評論家中島梓さんのSF論です。
作家としての栗本薫さんの本はかなり読みました。伊集院大介シリーズ、ぼくらシリーズ、魔境遊撃隊などなど。ただ、グイン・サーガは途中で挫折しましたけど。評論家としての中島梓さんの活動としては、やはり『美少年学入門』なんか非常に楽しみながら読みました(倒錯的?)。
「SFとは何か?」というSFジャンル最大のテーマに敢然と挑んだ姿勢がかっこいい。
「センス・オブ・ワンダー」とはいったい何だ?
「つまりセンス・オヴ・ワンダーの重要さとは、「何ひとつ確実なことはない」という、この自由目盛りの柔軟さのうちにあるのである。」
おー、まさにその通りだ、僕も言葉にはできなかったんですが、そういうことだと思ってたんですよ!と思わず本に向かって言いそうになりました。SFは世界を解体することができる。その上で現実を捉えなおそうとすることができるし、逆に虚構の中で別の「現実」を規定することもできる。そういうところが僕にとっては面白いんです。
後半は日本SFの両極として、平井和正さんと横田順彌さんが挙げられ、前者は「神」、そして、後者は「道化師」をテーマとしているとしています。
一つ自分が感じていたことの答えがあったので、嬉しかったです。それは七十年代以降に登場した人々のSFについての「違和感」なんですが、60年代のSFが外へその勢力を伸ばそうとしていたのに対して、それ以降の一部のSFはSFファンに向けて、内に向かって作品を発していたということです。SF第一世代の作品が、普遍性を持っていたのに対して、それ以降の世代は読者を限定している感じがあって、そこに素人の僕としてはついていけない部分があったのは当然なんですね。「わかっているのが前提」という準拠枠が見えないながらもそこには存在していたように思うのです。そういうわけで自分の好みのSF――ウィンダムやヴェルヌや小松左京や筒井康隆らに比べてみたときに(失礼ですが)卑小に感じてしまう部分があったんだと思います。しかし、それは「文学」としての評価軸でものを語った場合であり、SFマニアやSFファンの評価軸とは相容れないものなのかもしれません。
SFという生物がどのようにその存在形態を変容させてきたのか……。ジャンル、マーケット、イデオロギーなど、さまざまな側面から計測し、考察した、非常に面白い本でした。「序説」となっておりますが、本論はあるのかなあ。
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