うーん、面白い。
『伊勢物語』の主人公在原業平の「身を用なきものに思ひなして」という「無用者」という視点から、日本の文学を眺めていく。一遍、西行、芭蕉、荷風などが、「無用者」の系譜として挙げられている。
僕も自分を無用者と感じているところがあるので、それを愚痴る小説に非常にシンパシーを感じてしまうんです。特に書けない書けないとグチグチいいつつ酒を飲み続ける、いけないとわかってるのにダラダラしてしまう。そんな破滅型私小説作家の作品が、非常に読んでて心地よいんですね。自分と重なりますから。現実世界と対立する「雅」の世界を作り上げるっていうのは、非常に納得できます。
まあ、作者の意図をちゃんと読めてるかは、不安ですが。
中世の坊さんたちの行動が非常に面白くて、好きです。教義よりも、市に出向き、念仏唱えてまわったりしたり、俗に交わりつつ、坊主の権威主義やら教義主義やらから逃れて、貧に窮しながら行を積むというストイックさがすげーなあと思いました。ただ、これは伝説に近いものなので、そのまま受け取るのはどうかと思いますけど。まあ、当時はこういったものが美談であり、理想であったんだなあ、と。
俗世界と流離して、もうひとつの「雅」の世界を作り上げるということは、SFにも適用できることだと思いますね(←むりやり?)。僕は才のない人間なので、きちんと、現実世界に対応しなくちゃいかんなあと思いました。流離の人生は僕には無理だ。
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