殺人というタブーにふれる行為において、殺人者を最も魅了し興奮させた手段は毒を用いることであった。毒薬はそれ自体が妖しい魅力に満ちており、殺す者と殺される者の間に、劇的シチュエーションを形成する不可欠の要因であった。その結果、数ある殺人事件のなかで、毒殺こそが犯罪の芸術と形容されるようになった。毒薬と毒殺事件をめぐる異色のエッセイ集!!
昨日、地下鉄でこの本と『黒魔術の手帖』を鞄に入れて乗っているとき、もし自分が今なにかの件で警察に逮捕されたら、確実に有罪になるなと思いました。そして、思わず心の中でウフフフ・・・・・・と不気味な笑みをもらしてしまいました。なにか、精神的な爆弾というか危険物を抱えていることが、檸檬を丸善の本棚に置いて爆弾に見立てた梶井基次郎のような気分になったのです。
といっても僕は健全に法は遵守しますし、危険な人物ではないですよ?と断っておきましょう。念のため。ときどき、こういうのを読んでいると本当に犯罪者のように扱う人がいたりするので不快です。まあ、しょうがないんですけど。
というわけで、毒薬のお話です。古来から毒は殺人の道具であり、特に女性にその使い手が多いのだそうですが、まあ女性は男性より非力なので、こういった手段にたよらざるのをえないのかなあと思いました。しかし、一番毒殺の割合で多いのが「家庭内のいさかい」というのは少し怖いです。
中世のヨーロッパでは毒殺も大流行していたそうで、やはり貴族とかあのあたりに毒殺は多かったとか。生活が富裕になると精神が怠惰になって、倫理観も緩むのでしょうか。毒殺はその手段が芸術性に高められるというようなことが書いてありますが、たしかに推理小説ではその気がありますねえ。特にバレないようにしなけりゃならない毒殺ではその計画というものが、すべてを決めますからねえ。そこに作意が芽生えるというか、物語が発生するのでしょう。
毒薬の解毒法で馬の腹を掻っ捌いて、その中に体を入れて解毒する法というものがあって、なんかグロテスクなんですが、面白いです。どこからどうやったら、その発想にたどり着くのかなあ。
後半の「巧妙な医者の犯罪」とか「さまざまな毒殺事件」などのエピソードは保険金殺人やあるいは快楽のために罪のない人々を無差別に殺したりとか、最近の事件をいろいろと連想させるものがたくさんありました。ということは、よく紋切り型にいわれる「現代社会が産み出した」犯罪とか病気とかじゃなくて、人間の中に潜んでいる性向の中にそういったものが潜んでいるということでしょうか。
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