鍵のかかった一室で目覚めた「私」。自分の顔をなでて感じるのは、「俺はコンナ人間を知らない・・・・・・」。ここは牢獄か、それとも精神病棟の一室か。思わずあげた「私」の叫び声に、コンクリートの壁の向こうから聞こえてきたのは哀切に満ちた「お兄さま」という若い女の声。その女が語るには、「私」はその女の婚約者で、結婚式前夜にその女を絞め殺したというのだ・・・・・・!
いやはや。
脳髄の奥が痺れるような面白さ。物凄い小説だ。
夢見の悪くなるような狂気の物語。「巻頭歌」からすでに凄まじい。
胎児よ 胎児よ 何故踊る 母親の心がわかって おそろしいのか 芸術的狂気とか、そんなものではなく、「狂気」そのものが主題の物語。「世間の人間は一人残らず精神病者」などという一文にはドキリとさせられる。
登場人物の不気味さ。怪人物若林博士、魅惑的な美少女呉モヨ子、奇行の大天才正木博士、そしてなにより記憶を取り戻せない主人公「私」・・・。
目まぐるしく明かされる驚愕の新事実。どこまでも衝撃を受けつつ一気呵成に最後まで読んでしまいました。
なにより、作中作である『ドグラ・マグラ』。入れ子構造になっているこの物語。「阿呆陀羅経」やら「胎児の夢」の論文やら、お寺の縁起を語るチャンバラ付きの擬古文だの、幾重にも作りこまれた螺鈿模様のような色彩を思い浮かべる小説です。アー、スチャラカ、チャカポコチャカポコ・・・。
さて、はまった原因はもう一つ。それは、舞台が地元!我が九州福岡が舞台。姪浜、箱崎、吉塚など近所の地名が盛りだくさん。黒田のお殿様のお話やら九州帝国大学医学部など、舞台が身近なだけにあのへんだなと頭の中で思い浮かべることの楽しさよ。松本清張の「点と線」やら遠藤周作の「海と毒薬」(これも医学部の話だった)を読んだ時よりも地元感に興奮してしまいましたよ。
ミステリィという枠におさまりきる小説ではなく、「先祖の記憶を再現して犯罪を起こさせる」だの、細胞の記憶だのなんだのいう話に至ってはまさに空想科学小説ではないですか!なによりハッキリと事件の全貌が見えないのだもの。そもそも語り手の認知があやふやなものだし、どうとだって解釈しようと思えば解釈できる。しかし、それを言い出すとすべての現実がそうだし、人間の現実認識だってそもそも思い込みにすぎない?
ああ、いけない。考えすぎておかしくなりそう。なにか、今にも・・・・・・・・・・・ブウウ――――――ンンン――――――ンンンンという音が聞こえてきそうに。
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