未来史シリーズの一編。『機械神アスラ』以外の本はすべて読んだはずなので(だって、ブランド品についてのエッセイまで読んだもんね)、一度は読んでいる作品で、頭の中にイメージは残っていました。
赤い人型の容姿をした猫。頭の中にはハヤカワ文庫JAの『一人で歩いていった猫』の表紙がまざまざと思い浮かびます。そのビジュアルだけで、すでにやられているところですが、大原まり子作品における「無垢な愛」の表現にはいつでもやられてしまいます。無垢というよりは、「幼い」とか「打算的でない」という言葉が適切でしょうか。醜く性格にも問題のあるフィロバテスとの友人関係と、その命を助けようとするスノウ・マンの姿には、普通の愛を超えた宗教的な愛がみえます。
スノウ・マンはアルザスという地につきます。アルザスでは、争っている二大勢力――機械帝国と人類の必要としているアルザス鉱があり、中立地帯となっていました。ここで、スノウ・マンは子どもたちと交流をもち、幸せな時間を過ごすのです。しかし、悲劇はすぐそこに迫っていました。
スノウ・マンはさまざまな特殊能力を持っており、そのせいでシノハラ・コンツェルンの面々に追われていたのでした。そして、機械帝国からも目をつけられており、彼は機械人に連れ去られてしまいます。そうした中、戦争が始まってしまい、数十機ものミサイルがアルザスの地を襲います。スノウ・マンは能力を発揮し、ミサイルを消滅させますが、一機残ったミサイルで子どもたちが被害に合います。スノウ・マンは治療者としての能力も持っていおり、次々と子どもたちの生命を救いますが、同時にそれは自分の命を削ることでもあるのです。夜が明け、外は一面の雪。校庭には座り込んでいた天使猫がいるはず。そこには、雪をかぶり翼のある大きな雪だるまが、輝いていたのでした。
予知能力もあったスノウ・マンは自らの運命を知りながら、子どもたちを助けたのです。このあたりにも、宗教的な愛があって、読んだ後、なんだか神聖な気持ちになれました。
さて、登場人物の中に「ミヤコ」という名前があったりして、『処女少女マンガ家』シリーズの主人公を思い出したり、やるせない読後感に、もう一度、「薄幸の町で」を読み返したいなあと本を保管している段ボール箱をあさったりしています(いったいどこにやったんだろう)。なんだか、もう一度、大原まり子にはまりそうです。
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