情報工学の天才、島津圭助は花崗岩石室に刻まれた謎の“古代文字”を調査中に落盤事故にあう。古代文字の解明に没頭した圭助は、それが人間には理解不能な構造を持つことをつきとめた。この言語を操るもの――それは神なのか。では、その意志とは?やがて、人間の営為を覆う神の悪意に気づいた圭助は、人類の未来をかけた壮大な戦いの渦にまきこまれてゆくのだった。
十年ぶりくらいの再読です。高校生くらいの僕には面白かったけど、なんだか難しかったという印象の残る作品だったことを覚えています。しかし、ヴィドケンシュタインとか、ラッセルとか、冒頭に登場する人物の名前を知っていたり、作品の核となっている言語学の話などを大学でかじったことなどから、当時とは違い、「ああ、こんなにエンターテイメントだったのだ」という感触に変わりました。
なぜ、人々は憎みあうのか?なぜ、貧富の差はなくならないのか?なぜ、戦争はなくならないのか?なぜ、人類はいつまでも愚かであるのか?
新聞紙面を読むたびに(特に今は戦争に関する記事も多いので)感じるそんな疑問。このやりきれない感じ。実は、それは「神」が人類に対して悪意を抱いているからなのだ。
主人公の島津圭介は謎の古代文字の解析を通して、論理構造の違いから、これが人間の言葉でなく、「神」の言葉であることを突き止めます。「神」は強大な力を持っており、自らに近づく人間を巧みに消し去っていきます。一方では、「古代文字」という大きなヒントを与えて、一方で真相に近づいた人間を消していく。これは神の「ゲーム」であるのか。主人公は悩みつつ、神との戦いに挑んでいくことになるのです。
さて、主人公圭介の性格類型は、才能を持っているがために、他人を許せなかったり、受け入れられなかったりするという、なんとなく最近の若者の代表とされているような性格構造で、それを読むのも、僕としては一つの楽しみとなっていました。けっこう、わがまま。
神との戦争は始まったばかり。そして、超能力(作品内では霊能力と呼ばれていますが)というのが、神との戦いの一つのキーとなりそうです。キリストも神と戦った人の内の一つだった。美しく悲しい霊能力者理亜(ユリア)の死を初め、人類の神との闘争の犠牲者は後を絶たない。そして、その闘争の入り口に立った圭介はこれからどうなってしまうのか。
それは、『神狩り2』でということになるのでしょうか。
続きも気になる日本SFの傑作です。
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