アラキス・・・・・・砂丘・・・・・・砂の惑星。ボウルの夢に一面乾ききった死の世界が広がる。そこがかれがこれからの一生を過ごす所なのだ。アラキスは苛酷な星ではあったが同時に唯一の老人病特効薬メランジの宝庫でもあり、皇帝の勅命を受けたアトレイデ公爵にとって、そこを仇敵ハルコンネン家にかわって支配することはこの上ない名誉と富を意味した。一人息子ボウルにより豊かな未来を継がせるためハルコンネンの復讐の罠を、皇帝の恐るべき姦計を、充分承知しながら公爵はあえて砂の惑星に乗りこんでいく・・・・・・ヒューゴー、ネビュラ両賞受賞に輝く傑作巨篇、堂々開幕!
物語はまだ始まったばかりだ・・・・・・というところです。
剣や魔法の世界と「サイエンス・フィクション」の合体。超能力=魔法と考えれば、魔力のある血統=遺伝、掛け合わせということになるのでしょうか。科学的根拠がわからなければ、機械は魔法の道具そのものです。ドラえもんの秘密道具がファンタジー色が強いのは「サイエンス・フィクション」として、その原理をまったく説明しないからで・・・・・・となんだか、まったく、話が逸れてしまいましたが、魔法の部分をSFとして甦らせた作品なのでしょう。
王朝ものとして、国家の長の苦悩なにかが示されているのですが、君主が有能であれば、国家はきちんと成り立つ。逆に君主がダメだと国家が成り立って行かない。特にアラキス――砂の惑星のような場所では・・・・・・。王として成長していくムアドディブ――ボウルという少年の物語として、非常に興味深いつくりになっていて、それには各章の冒頭に配置されている歴史書の引用が欠かせない。この辺の作者の巧さというのが際立った作品になっています。更に本の造りとしては、未来の単語を使用して、それに米印をつけて、巻末で確認させるという、これまた心憎い演出があります。
ただ、これは映像化した作品に共通のことですが、表紙が映画の一場面なんかだったりするのは僕は嫌いなのですが(ノベライズなら許せるけど)、この作品は挿画のように各場面が挿入されていて、それにイライラさせられました。自分の中でイメージされるキャラクターの阻害になるし、映像というのは万能じゃないので、ビジュアルも現在から見ると遅れているんですよね。ライトノベルのような、絵と文章双方をセットで売りに出しているものなら、文句はありませんが、やっぱりヒューゴー賞、ネビュラ賞を受賞したような素晴らしい「小説」は純粋な形で楽しみたい気がします。
全体的印象では「地味なスターウォーズ」という感じでしょうか。ただし、これからどんどんと派手になっていくのでしょう。早く砂漠に出てほしいなあ。
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COMMENT
SF紹介 ―不死販売株式会社―
『砂の惑星』、読ませて貰いました。
SFと魔法を掛け合わせた作品って、結構ありますね。ぼくが好きなのは、レイ・ブラッドベリの『何かが道をやってくる』です。
同じように、SFとオカルトを見事に融合させた作品は、やはりロバート・シェクリィの『不死販売株式会社』だと思います。(確か、ここのS‐Fマガジン紹介にもありましたね?)
1950年代に交通事故で即死した主人公が、霊魂だけを150年後の未来に連れてこられて、新しい肉体を得て蘇る―という内容です。ゾンビー、来世保険、精霊交換局、肉体泥棒、自殺ブース・・・なんかここまで来ると、SFなのかオカルトなのか分かんないところもあります。これも、一種のアンチ・ユートピア小説でしょうか?
ロバート・シェクリィは去年、図書館で短編集『無限がいっぱい』を読んだのが最初でした。その後、06年に永眠されたことも知りました。他の人たちと比べると、ずいぶん変わった文体を扱う人だと思いました。
因みに、表紙が映画の一場面―というのは、僕も好きじゃないです。実際、僕が図書館で借りた『不死販売株式会社』は、92年の映画化(題名は『フリー・ジャック』)に当たって復刻された文庫版で、映画の一場面が表紙に刷られていました。どうもレトロなSFという雰囲気がなく、読後も変な気分でした。その後、神保町で銀背版を見つけ、即購入しました。やはり文庫版よりは、ずっと活かした表紙絵でした。
表紙絵や挿絵は、その作品に会ったものにしなきゃ、せっかくの面白さも半減しちゃいますよね?
ただ今積読状態です
ロバート・シェクリイは大好きな作家です。アメリカの小説に特有な気障とまではいわないまでも洒落た感じの文体で、ストーリーもウィットに富んだ乾いたユーモアがあっていいですね。『無限がいっぱい』収録の作品では、「原住民の問題」「暁の侵入者」がお気に入りです。逆にブラッドベリはウェットな感触で、名作はもちろん素晴らしいんですが、けっこう苦手な作品も多いです。