田舎村にやってきた奇怪な男。衣服から出ているところは、包帯で覆い隠してあり、不気味このうえない。男は宿の部屋の中で奇妙な科学実験を繰り返しているようだ・・・・・・。前半は一人の奇怪なよそ者と村人たちの間に起こる確執を描き、徐々に男が目に見えない人間、「透明人間」であることが明らかになっていく。あるべきはずのところに、顔がない!いや、見えない!
中盤から後半にかけては、正体が露見した透明人間の逃亡。浮浪者を配下に置き、金を盗ませては自分のもとに持ってこさせます。透明人間の性悪な部分が明らかになっていく部分です。さらに銃で撃たれた透明人間、逃げ込んだ先には学生時代の知人ケンプがいました。そして、始まる透明人間の独白。かれは、どのように透明人間になっていったのか・・・・・・。
あらすじ紹介には二重人格の問題がと書いてありました。そして、解説にもスティーブンソンの『ジーキル博士とハイド氏』の影響が指摘してあります。しかし、僕の印象では透明人間になったから性格が歪んでいったのではなく、グリフィン(透明人間)は、研究過程で父親から金を奪い取り、その結果、父親が自殺をしても両親の呵責を感じておらず、目的のためならほかの人間がどうなってもいいというような考えの持ち主で、元々おかしなやつだったという感じです。
なんとなく、このグリフィンの言い分には、ツール・ド・フランスを七連覇しながらドーピングによって、それが取り消されたランス・アームストロングを想起させました。彼は自らの目的のためにドーピングをし、告発されそうになるやその相手を脅迫したり、訴訟に持ち込んだりして徹底的な妨害を行っていたそうです。しかし、テレビのインタビューでドーピングを認めるも、反省の態度なし。「ソシオパス」(人格障害の一つ)であることを疑っている人もいます。透明人間の悪びれない態度に彼の顔を思い浮かべてしまいました。
グリフィンは「透明人間による恐怖政治」を打ち立てようとケンプに持ちかけますが、ケンプは拒否し、グリフィンを警察の手に委ねようとします。ケンプが善の科学者、グリフィンがマッドサイエンティストの悪の科学者という対立構造で後半は進み、ここに強大な科学の方向性を間違うと危険だぞというテーマが19世紀にすでに見えていて、感慨深いものがあります。
ラストで透明人間の手先にされていた浮浪者マーヴェルは、透明人間の秘密のノートをこっそり隠し持っていることが判明します。マーヴェルには意味のわからない化学記号が並んでいるノート。マーヴェルはこうつぶやきます。
「これをつきとめられたら!しかし俺は奴のようなへまはしないぞ、俺だったら・・・・・・」
誰もがもつ願望ですよね。「透明人間」願望。先日、哲学者の鷲田清一の本を読んでいたら、このような一節が登場してうなずいてしまいました。
通勤者とほぼ同じ時刻に、混み合った電車に乗って通学し、帰りにはゲームセンターやファーストフード・ショップに立ち寄り、しかも「あなたはまだ社会に出ていないんですよ」と言われれば、ほんとうのところどんなにか楽だろう。
そんな透明人間になれるものならなってみたいと、だれもがおもうことだろう。(『だれのための仕事』講談社学術文庫)
これは、観念的な透明人間のお話なのですがこの気持ちわかるなあ。
というわけで人類はどのような願望を透明人間に抱いているのか。Googleで検索してみると、10件中3件は中西やすひろの少年マンガ『Oh!透明人間』の記事でした。イクラを食べると透明人間に変身でき、女の子の肢体を見るための覗き行為にいそしむ。低俗だ!そういえば、あのポール・バーホーベン監督の映画『インビジブル』でもケビン・ベーコン演じる主人公は個人的欲望をむき出しに、覗き行為その他に耽っていましたね・・・・・・。
・・・・・・グリフィンのほうがなんぼかマシかもしれません。
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