今日はまず筒井康隆「おもしろさということ」(『筒井康隆全集』2巻収録 初出「SF新聞」三号 昭和四十一年十一月)から考えてみたいと思います。
SFの話をするスペースがなくなってしまった。
文学の世界でも、面白すぎると文学ではなくなるらしい。
面白いものを、ただ面白いというだけでの理由で低俗なものと決めてかかる人がいっぱいいる。腹をかかえて笑いころげたあとで、笑わされたといって怒る奴までいる。
直木賞候補にあがった星氏の作品は「実に面白い。文句なしに面白い。しかし文学ではない」という評価を受けた。文句なしに面白いものがなぜ文学ではないのか?この批評をした老大家は、その理由をひとことも述べていなかった。
同じく生島治郎氏の作品も同様の憂目を見た。「惜しむらくは面白すぎる」文学賞を受けたような作品はぜんぶ、あまり面白いものではなかったらしい。(略)
しかし僕は、どういわれようと、やっぱり面白いものを書こうと思う。僕の作品が文学と評価されなくてもいい。文学と評価されたら、もうおしまいだ。文学なんて誰が書くもんか。
この文章では全体的に日本人が笑いを解さない民族であることが語られています。そして、教訓主義的・真面目主義的文壇を批判しています。そもそも直木賞というエンターテイメントの賞で、こういう発言が出るところに時代を感じるような気がします。直木賞の歴史もこれから調べていきたいと思います。
次に平井和正『ウルフランド』(角川文庫 昭和五十八年五月二十五日 初版発行)収録の「変質SF作家はだれだ?」(初出「奇想天外」1976年五月)を資料として考えたいと思います。
私はなんでまた、こんな話をはじめたのだろうか?そうだった、「あなたもSF作家になれる(わけではない)」が軽妙に書かれているだけに、日本SF草創期からの同志・戦友として、いたく心を揺さぶられたからなのだ。彼がさりげなく語っている「士農工商×××SF作家」時代の屈辱、悲哀、忍耐、持続する志のことごとくが、とりも直さず私自身のものだったからなのだ。そして不当な蔑視と差別にくじけず、泣き言も口にせず、ふてぶてしく馬鹿話で笑いとばして生き延びてきたプロセスも私のものだったからだ。
先月号の小松・石川対談で語られた“SF作家無惨”は草創期に発生したSF仲間が大なり小なり経験していることであろう。プロフェッショナルの道とは、こんなものである。しかも伝統のないところで活動するのである。とはいえ生命を張るとか伝統を築くといった大仰さはなかった。悲壮な思い入れこそなかったが、みなそれぞれ覚悟をきめていたと思われる。それゆえSF作家仲間は底抜けに快活で透明で朗らかだった。傍からの雑音――“SF作家はメダカの群れ”“早川コケたらみなコケた”とそしられても、動ずることがなかった。PR誌、学習雑誌、TV動画シナリオ、少年雑誌と手当たりしだいにシコシコと書き続けた。まったくなんというヴァイタリティーだったろう。われわれは“頑張っちゃった”のである。
出ました、「士農工商犬SF」です。ここでは、SF創成期にSFが「不当な蔑視と差別」を受けていた事が語られています。それにしても、誰がこんなことを言っていたのでしょう。ほかにも誰かが書いていたような気がしますので、さがしてみたいと思います。
さて、この文章ではなぜSF作家たちが早川書房を離れていったのかが書かれています。「法外な原稿料の安さ」であったが、それでも寄稿していたのは森優(南山宏)がいたからで、その森優と出版社側とのSFに対する意識の違いがあったと。森優がやめて以降、SF作家は次々と早川から離れていった・・・・・・まとめるとこうなります。その森優の早川を離れた理由も、「彼のSF出版推進者としての構想を半ば打ち切り、身を退かざるを得ぬ破目に追いこまれた」「おまえにはもう用がない、と宣告されて森優が辞職したとき」と少し過激な言葉が使われていますが、事実関係はどうだったのでしょうか。以降も調べていきたいと思います。PR
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