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SF研究⑪ 福島正実『未踏の時代』(1)

 本日は福島正実『未踏の時代』。日本SF史を語る上で外せない本です。

 その当時のジャーナリズム一般の空気は、SFに対して、全く否定的だった。SFを読み、あるいは語ることは、アブノーマルなものへの関心を自白するようなものだった。変りもの扱いにされることを覚悟しなければならなかったのだ。そんな体験からも、ぼくは、日本におけるSF出版の可能性に対して、かなりの程度に悲観的だった。現実にしか目を向けることができず、未来や空想は、絵空事としてひとしなみに軽蔑してかかることしか知らない人々が、あまりにも多すぎた。そうした人々に、SFの効能をいかに説いても、所詮は馬の耳に念仏としか思えなかった。


 ジャーナリズムがSFに対して、「否定的」であったこと、SFを読む、語ることが、「アブノーマル」とされていたことがわかります。また、空想的なことが軽蔑されることが書かれています。

 次に、1959年、『SFマガジン』創刊前に福島氏が原稿依頼、またアドバイスを求め行った場での作家の反応です。

 当時はまだ気象庁の、たしか、計測器課長だった新田次郎さんを、役所に訪ねて行ったときのことも、忘れられない。作家と、公務員との二重生活の重圧に疲れた顔の新田さんは、「SFほど労多くして功少ないものもない。もうSFを書く気はない。きみたちも、SFは諦めた方がいいだろう」
 と忠告までしてくれた
ものだった。
 新田さんは正直だったのだ。やはり同じころ、何かアドヴァイスを――というより、激励の言葉をと思って訪ねた故江戸川乱歩氏も、SF雑誌をという話を聞くと首をひねり、商業的に成り立っていく目算があるのか、とやや詰問調でぼくに訊いた。乱歩さんはこの頃、まだ早川書房のミステリーシリーズの監修者でもありEQMMの創刊には並々ならぬ尽力をなさったこともあって、早川書房がSFのような全く未踏の――そして、十中七八まで不毛であろう領域に手を出して失敗することがあっては困ると危惧されたらしかった。
 結局、ぼくを励まし積極的に話相手になってくれたのは、安部公房氏くらいなものだった。安部さんはSFが現代小説の新しいジャンルになるだろうということに、ぼく以上の確信を抱いているように見えた。ぼくはしばしば安部家からの帰り道を、かなり昂揚した気持で何やらしきりと考えながら歩いていたことを思い出す。

 もちろん、福島氏の主観もいくらか入っているでしょうが、新田次郎→「SFはもう書かない。諦めた方がいい」、江戸川乱歩→「商業的にやっていけるのか?」、安部公房→「現代小説の新しいジャンルになる」という反応です。SFを書いている人、肯定している人でも不安があることを前二人は語り、安部公房は前向きであったらしいことがわかります。

 とりあえず今回はここまで――。

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