《こんにちは火星人》というラジオ番組の脚本家のところに、火星人と自称する男がやってくる。はたしてたんなる気違いなのか、それとも火星人そっくりの人間か、あるいは人間そっくりの火星人なのか?火星の土地を斡旋したり、男をモデルにした小説を書けとすすめたり、変転する男の弁舌にふりまわされ、脚本家はしだいに自分が何かわからなくなってゆく・・・・・・。異色のSF長篇。
うーん、面白い。今日の「うーん」は賛嘆のため息。地力のある小説家の書くものはやはり一味違うなあ。
弁舌巧みな男に振り回される「ぼく」。より怖いのは狂った人間より、狂っているのかどうか、判断しにくい人間だというのに、改めて気づかされた。狂っている人間には、対処すべき方法はわかっている。無視するか、常に警戒を怠らないようにすればいい。しかし、それが判別できない人間に対して、どういった対応をとればいいか、我々は行動のパターンを持たない。ただ、不気味さにおののくだけである。この「男」は怖い。精神病(らしい)のに、さらに刃物まで持ってしまう。まさに、○○に刃物である。
どこからどうみても、人間であるのに、自分が火星人であることを主張する男。そして、位相幾何学を持ち出してみせて、なにがなにやらわからないままに、主人公を混乱させていく。人間そっくりの火星人であるのか、火星人そっくりの人間であるのか。自らの存在の不確かさを、主人公「ぼく」は露呈していく。その過程がいかにも面白く、また、密室の台詞劇、二人の掛け合いが、たまらなくリズミカルだ。
結局、男の正体は明確にはされない。病院「らしきところ」に収容された「ぼく」は自らが、人間であるのか火星人であるのか、医者の質問に対して明言を避ける。「歪んだ鏡に歪んだ像が映る」。はたして、彼らが歪んでいたのか、それとも自分が歪んでいるのか、それとも・・・・・・?どれに対しても確証を示さないまま終わってしまう物語だが、消化不良感はまったくない。なぜなら、面白さは真実がわからないことそのものにあるからだ。
SF小説というよりは、SFという技法を使った純文学という気もします。当惑、疑惑、不信、恐怖・・・・・・。瓦解していく現実に、妙な浮遊感を覚える面白い作品です。
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