突然ですが、文学史にいかにSFは組み込まれているのでしょうか?
「文学の多様化 昭和に入ると、大衆文学が一つのジャンルのように扱われ、純文学と並行していたが、戦後、その隔たりがあいまいになり、中間小説という言葉がつくられ、それにみあう作品が大量に書かれるようになった。推理小説がブームになり、空想科学小説はSFとして独立する。文学の商品化が進み、多様化する社会の多様なニーズに応え、企業小説、旅行小説、グルメ小説など多彩な作品が氾濫している。」
これは高校生の教材として使われる『日本文学史』(東京書籍 一九九七年二月一日 初版発行)の記述です。読み取りにくいのですが、推理小説の中のサブジャンルの一つであった「空想科学小説」がSFというくくりでジャンルとして成立したという意味でしょうか。
昔から疑問だったのは、筒井康隆「日本古代SF考」などに代表される(といっても、これは小説ですが)ように、SFはそんなに文学界で差別を受けていたのだろうか、ということです。というわけで、試みに高校の時の教科書を開いてみました。
そこで、「SFは差別されていたか?」ということを読み解くために、いろいろなテクストを集めてそれを分析することでテーマに迫っていきたいと思います。具体的には「純文学の側からのSFに対する
言説」、「SFの側からの純文学に対する言説」を読み解くことで、両者の
イデオロギーを見出すという作業になります。
その手始めに、部屋にあった二冊の本の解説から。
「SF的な科学的発想を持っていること、文体から湿り気が抜けていることは、そのせいである。」
「どちらも一種のSF的未来物語と見ることが可能な側面を持っている。」
「第三の発想原則、現在には未来をという方式が、このように、安倍公房においては未来ものSFによく見られるオプチミズムとは無縁のものであることは、見逃すことができない。」(太字は引用者)
安部公房『R62号の発明・鉛の卵』(新潮文庫 昭和四十九年八月二十五日発行)での渡辺広士「解説」からの文章です。渡辺広士氏は文芸評論家。
ここではSF「的」と使うことで、安倍公房作品をSFと切り離しているように感じられ、未来SFのオプチミズムと安部公房の作品を比較して、より安部公房の価値を出そうとしているように感じられます(オプチミズムと無関係の未来SFはたくさんあると思う)。文章からはちょっとした偏見めいたものが感じられるような気がします。
次に提出するのは三島由紀夫『美しい星』(新潮文庫 昭和四十二年十月三十日発行)における奥野健男の「解説」。
「実際、この小説が『新潮』に連載されはじめた時、ぼくはいささか困惑を感じたものだ。いよいよやりはじめたかという胸のおどるような期待とともに、こんなことをはじめて大丈夫なのか、いったいどう収拾つける気なのだろうという不安とをおぼえたのだ。他人事ながら失敗しないでくれ、とはらはらして見ていられないような、恥ずかしいような気持さえ抱いたのである。というのは、いささかうちわ話めくが、ぼくは作者が、超現実な怪奇譚やSFや、特に空飛ぶ円盤の話に興味があるのを知っていた。ぼくもそういうことには人一倍関心がある方なので、作者と会うたびに話題はSFや円盤のことになった。ところが、この作品を書く一年ぐらい前から、作者は北村小松氏などに影響されたのか、空飛ぶ円盤について、異常なほどの興味を示し、円盤観測の会合にも参加したりしていた。(略)さてぼくが『美しい星』を読んで大丈夫なのかと心配したのは、純文学の世界に、宇宙人とか、空飛ぶ円盤とか、いわばいかがわしいものを持ち込んだことについてである。」(太字は引用者)
引用が長すぎる嫌いがあるので省略したが、この後「SF作品としてのリアリティーを持っているかと言うと、それも欠けているのだ。」という主張があり、「これはSFではないと明らかにするため、こういう設定をした」「SF的な制約や雰囲気からも、独立し自由であろうとしたのだ。」という語が続く。僕もそれには賛成である。しかし、この部分には前に提出したもののようにSFから特別切り離そうとする意図は見られない(と思います)。
上の文から伝わってくると思いますが、奥野健男はSFに好意的な評論家です。筆者自身、そして三島は怪奇譚やSFが好きではあったということが一点挙げられます。SFに好意的な人物が『SFマガジン』創刊前に純文学界にもいたようです。ちなみに北杜夫は奥野健男と三島由紀夫とSF好きという理由から一緒に飲んだというエピソードもあります。
しかし、よし好意的な人物がいたとしても、それは「いかがわしいもの」というイメージを抱かれていた、ということがわかります。当時の文壇の一般状況としてそういったテーマが文学的でなかったことがわかります。
と、いうようにいろいろと文献を集めて調査していきたいと思います。